おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

葵 二

2019年7月4日  2022年6月8日 
※前回の「葵 一」で、六条御息所についての記述に間違いありました。
×先々代の帝の寵姫
〇早世した先の春宮(桐壺院の弟)の寵姫
です。流石にそんなに年取ってないわ……すみませんすみません。修正済みです。
※さらに訂正!此処に出て来る斎宮は「賀茂の斎宮」であり、六条御息所の娘ではありません(こちらは伊勢斎宮)。電子書籍は修正済。(2020.7.27)
 
新天皇即位に伴い、賀茂の斎宮も交代となる。それまでの斎院は退下し 新斎宮は女三の宮と決まった。六条御息所の娘である。資質に優れ、院も太后もことのほかお気に入りの宮なので、神に仕える身となることは不憫に思われたが、他に適当な姫宮がいなかった。
 儀式などは規定通りの神事を行うだけなのだが、ちょうど賀茂祭(葵祭)が近いこともあっていつになく大掛かりとなった。女三の宮が如何に特別扱いを受けているかがわかろうというものである。
 御禊(ごけい)の日は、あらかじめ決められた人数の上達部たちが供奉する。声望も高く見目も良い者ばかりが選ばれて、下襲の色、表の袴の紋、馬の鞍まで揃いに誂えた。さらに特別の宣旨が下り、近衛の大将・ヒカルも行列に加わることになったので、随分前から見物目的の車が列を成した。
 一条大路は立錐の余地なく、恐ろしい程賑わっている。方々の桟敷、思い思いに趣向を凝らした設え、隙間からこぼれ落ちる色とりどりの袖口、それはそれは壮観であった。
 左大臣家では、もとよりこのような見物は滅多にしない。まして悪阻で臥せりがちな葵上がいるので、尚更考えも及ばなかったが、若い女房達が口々に騒ぎ立てた。
「私たちだけ一般人に混じって適当に見物するなんて、それどうなんですか? ヒカルさまと全く縁もゆかりも無い人たち、山奥に住む田舎者までが名高い大将の君をひと目見ようと下りて来るのですよ。遠国はるばる妻子をぞろぞろ引き連れて見に来る者も多いと聞きます。なのに誰あろう北の方の葵上さまが、こんな滅多にない催しをご覧にならないなんて、絶対絶対ありえませんわ!
 ここまで言われて、さすがに母の大宮も無視は出来ず
「今日は御気分もよろしいようだから、少しだけお出かけになられては? 貴女が一緒でないと女房達も物足りないようですし」
と勧め、急きょ左大臣家としての見物が決定した。
 既に日は高く、準備もそこそこに急いで出かけたが、当然入る隙間などない。物々しく車を引き連ねて来たものの立往生するばかり。家来たちは、身分の高そうな女車が多く下々の者どもがいない隙を見つけ出し、強引に車を突っ込み始めた。
 すると奥の方に、由緒ありげな下簾の、使い慣れた風の網代車が二台ある。中にいる人はかなり奥の方に乗っている、つまり相当の貴人とみえて、ほのかに見える袖口、裳の裾、汗衫などの衣装の色合いが上品に美しく、わざと質素に装っている様子がはっきりとわかる。お供する者たちは、
「この車は、決してそのように押しのけたりして良い車ではござらぬ!控えい!」
と言い張って、指一本触れさせるものかと押しとどめる。しかし双方ともに血気盛んな若者ぞろい、その上祝い事とて結構な量の酒を聞し召している。あっという間に押せや押せやの乱闘騒ぎとなった。年かさの前駆の者は「やめろ、やめないか」と声をからすが、誰ひとり耳を貸そうとしない。
 かの車の主は新斎宮の母、六条御息所その人であった。何かと悩み多き日々の慰めにと、お忍びで出てきたのだ。目立たないようにはしていたが、こうなってしまうと隠しようがない。
「ふん、妾ふぜいにそんな口は聞かせぬぞ!」
「大将殿を笠に着ているつもりなのだろう!」
 などと罵る声が響き渡る。左大臣家の供人の中にはヒカルの家来も混じっており、気の毒なことと思いながらも、仲裁するにもややこしい立場なので見て見ぬふりをしている。
 とうとう車が立ち並べられてしまった。六条御息所の車は更に奥、従者用の場所まで押しやられた。もう何も見えない。無理やりどかされてしまったことも不愉快だが、一番耐えがたいのはこのように身をやつした姿を衆人環視下に晒されてしまったことだ。轅(ながえ)を置く榻(しじ)なども皆へし折られてしまい、他所の車に頼んで立てかけさせて貰っているのも、体裁が悪い事この上ない。
「一体何をしにここまで来たのか」
と後悔するもどうにもならない。見物を中止して帰ろうにも、出る隙間もないのだ。なのに
「行列が来たぞ!」
という声に心が動く。恨めしい、恋しい人の通る姿を待ってしまう。そんな自分の弱さにまた傷つく。
「笹の隅」笹の隈桧隈川に駒とめてしばし水かへ影だに見む(古今集)
笹の生い茂る隅、貶められ下げられた自分たちに気づくことすらないヒカルはきっと、馬を止めることなく通り過ぎていくだろう。姿を見ようにも見られない、ただ思いだけがつのる。
 物見の列にはいつもより趣向を凝らした車ども、我も我もと乗りつけて簾下の隙間からこぼれる衣、ヒカルの目は何も見ていないようでその実、此処という所では微笑みつつ視線を投げる。左大臣家の車ははっきりそれとわかるので、きりりと顔を引き締める。お供の者も居ずまいを正し礼を尽くして通っていく。無理やり押しやられ、何処にいるとも知られぬままの我らとの違いはどうだろう。
「今日の御禊の儀式に、逢えたのは影だけ。
 そのつれない仕打ちに、わが身の不幸を思い知りました」
 思わず涙を零す六条御息所。女房たちの前だからと憚りつつも一方で、馬上のヒカルの「晴れ舞台でなお一層光り輝く」姿形を実際に見ていたなら、と考える。此処に来なければ、これ程までに心を残している自分に気づかないままだったろう。
参考HP「源氏物語の世界
与謝野晶子訳「源氏物語」
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