桐壺 七(源典侍日記)
「ねえ典侍。僕のお母様は藤壺の御方に似てるってホント?」
毎日のように同じ質問をされ、
「ええ、大変よく似てらっしゃいますよ。同じようにお美しく、優しいお方でした」
私も同じ答えを返す。目の前にいる若く美しい后を、顔も覚えていない母君と重ね合わせる、類まれなる美少年の憂いを含んだ瞳……不覚にも私自身胸を突かれた。それ故に油断した……といっても過言ではない。
帝は尚更である。
「どうぞ仲良くしてやってほしい。あなた方二人は不思議な程、とても他人同士とは思えない。ああ、失礼かもしれないねあなたのような若い女性に。ただ、顔立ちや目元など本当によく似ているから、どうしても母と子のように考えてしまうのだよ」
などと不用意に仰るものだから、源氏の君も幼いながらに一生懸命、花や紅葉にかこつけても藤壺の御方と心を通わせるべく努力する。藤壺の御方とて、とんでもなく可愛らしいのに何処か寂しげな少年に、まっすぐ手放しに慕われて心が動かないわけがない。いわば刷り込まれたようなものである。結果はこの頃から見えていた。
比類なき美貌を持つこの二人を、当然世間も注目した。源氏の君を「光る君」、藤壺の御方を「輝く日の宮」と呼び、持て囃す。
いっぽう弘徽殿の女御はこの二人に対する反感と不愉快を隠そうともしなかった。以前からの憎しみも盛り返したかとみえる程に。
源氏の君は十二歳になった。元服式は帝自ら全ての儀式を取り仕切り、基本の作法にあれもこれもと追加させた。昨年南殿にて行われた春宮のそれにも引けを取らないほど重々しく立派なものを、と各所での饗宴なども規定以上の、贅をつくしたもてなしを内蔵寮や穀倉院に特別に命じた。
帝の住む清涼殿の東廂の間に東向きに椅子を立て、元服する源氏の君の席と引入れ役―-冠のかぶせ役――である左大臣の席が御前に設えられた。申の刻、源氏の君が参上する。角髪を結った童子姿は、変えてしまうに忍びないほど愛らしい。大蔵卿が理髪役をつとめ、艶々とした髪をそいでいく。晴れがましいが、どこか痛々しくもあるその光景に帝は
「亡き御息所がこれを見たらどんなにか……」
と、こみあげてくるものを懸命に堪えていた。
髪そぎが終わり髻を結い上げた源氏の君が冠をかぶせられ、休息所に下がって衣裳を着替え、東の庭に下りて拝舞する。その健気な姿に一同心を打たれ、涙する者さえいた。帝はまして誰よりも涙が止まらない。まだ幼い少年がいきなり大人と同じ姿形にされて違和感ばかりという例も少なくなかったが、源氏の君はそれどころではない。可憐な蕾が一気に花開いたような完成された美に、誰もが唸らされた。
引入役の左大臣には、もと皇女の妻との間にもうけたひとり娘がいた。掌中の珠として大切に育ていずれは入内させ国母に……との目論見は時の権力者の一人として当然、ある。まして春宮は右大臣筋。一番の政争相手とより強固な姻戚関係を結ぶことは、お互いに利のあることではあった。
「それでは困るのよね……」
内裏の奥深く、誰にも聞こえぬ御簾の蔭でひそかに呟く。
既に左大臣家の長男・頭中将は右大臣家の四女の婿である。帝付きの女房という立場からすれば、左右両家がこれ以上結びつきを深めることは歓迎できない。ましてあの弘徽殿女御が女社会のトップに君臨している限り。次期帝とその係累にとって、左大臣の御令嬢は最強の駒だ。みすみすくれてやる道理はない。幸い、左大臣家には懇意の女房が沢山いる。何なら側近の家来にも。
戦いは何も弓矢や剣でのみ行うものではない。一言二言、囁くだけでいい。弘徽殿女御を姑としていただくことがどういうことか、そして源氏の君が如何に素晴らしく将来性抜群かを。どちらも噂レベルではない、信ぴょう性のある具体例を挙げつつ。
いつの世も女性の方がこの手の話には敏感である。春宮より入内の打診がきた時、左大臣の北の方は夫に訴えた。
「あなた……本当に大丈夫なのかしら? 姑の弘徽殿女御さまはそれはそれは恐ろしい方と聞きます。桐壺御息所の件は特別なことではない、今も同じ、少しでもお気に召さぬことがあれば何かせずにはいられないのだと。春宮さまはお優しくて品格ある方ですけど、お母様には頭が上がらず庇っていただくことは期待できないと。
帝すら、ご自分のお子さまを臣下に落とすまでに警戒なさっておられるのですよ。そのお子さま、容姿も頭脳も人並外れて素晴らしいとの噂ですのに。ウチの娘にはむしろこちらの方が気楽で、幸せなのではないかしら?」
左大臣にしても弘徽殿女御の難しい気質は承知していたし、引っかかっていなくもなかった。ただ現在、一番手っ取り早く次世代の権力を掴み安定化させる手段が現春宮との婚姻であり、向こうからも望まれているこのタイミングであることは確実である。女子供の戯言に耳を貸すまでもない。……しかし、その次は? 今の右大臣にしても弘徽殿女御にしても永遠の命ではない。何かと軽薄な面が散見される右大臣家のこの先は?
これはもう少し先を見通すことが肝要なのではないか。
好々爺の仮面の下で常に観察を怠らず緻密な計算をし、冷徹な判断をくだす左大臣である。妻の訴えを否定も肯定もせず、
「よきようにするから心配するな」
と微笑んだ。
参考HP「源氏物語の世界」
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