桐壺 六(源典侍日記)
帝の、桐壺御息所への愛は年月を経ても衰えるということがなかった。次々と新たな女君たちが参内してくるが、誰に勧められても、
「どうせ彼女を超える女などいるわけがない」
とはなから、品定めするどころか話を持って来られること自体億劫がられる有様だった。
これは少々まずい状況だ。弘徽殿女御と並び立つような女君が不在のままでは、現春宮の祖父である右大臣の権力のみ増大するばかり。パワーバランスは明らかに偏る。それはつまり現帝の力を削ぐことに繋がる。何かと理由をつけて早期に譲位などということになれば、私たち女房もただではすまないだろう。数を減らされるのは必定、内裏からどんな僻地へ移されないとも限らない。まさに死活問題である。
皆こぞって故・桐壺御息所に似た女性を探し始めた。迅速に、だがあくまで秘密裏に。頼りは噂、口コミのみである。だが帝三代にわたり仕えてきた私たち古参女房の情報ネットワークを舐めてはいけない。程なく見つけたのだ、まさにうってつけの方を。
所用で立ち寄った(と見せかけた探索)先帝の邸。
先帝亡きあとも何かとお世話をしていたから、いつ出入りしようが誰も見咎めるものはいない。勝手知ったる何とやらである。
母后はとても綺麗な方だが、桐壺御息所とは似ていない。注目したのはそのご子息、兵部卿宮である。目元や輪郭、醸し出す雰囲気が、色白で華奢なのも手伝ってどことなくかの御息所を思わせるのだ。そこは複数の女房達の間で意見の一致をみたところだった。
彼の妹で未婚の、妙齢女子といえば「四の宮」。幼い頃から見知ってはいたが、深窓の令嬢の常としてまともにお顔を拝見したことはない。私は素知らぬ顔で、御簾の奥へ奥へと入り込んだ。新作の絵草子を携えて。
「典侍、わたくしにも見せて。続き楽しみにしてたのよ」
案の定、食いついてきた四の宮。頬を紅潮させて、私から奪い取らんばかりだ。私は心中で快哉を叫んだ。このために連作を描いて渡してきたのだ、一か月も。夜なべした甲斐があった。
四の宮は、兄の兵部卿宮そっくりの美女だった。
私は早速行動を開始した。帝の髪を結いつつ、そういえば、と今思い出したかのようにさり気なく呟く。
「このところ先帝の、后の宮のところによく出かけているのですけれど、四の宮でしたか、いつのまにかとてもお美しくご成長されていましてね。わたくしもちらりと見ただけなのですけれど……ちょっと驚いてしまって」
「ふむ?」
「……いえ、やはり何でもありませんわ。出過ぎたことです」
「構わぬ、言ってみよ。何に驚いたのか」
帝は表情を変えられなかったが、明らかに返答を待っている。私はひと呼吸おいて言った。
「四の宮の横顔が、かの桐壺更衣……亡き御息所にとてもよく似ておりましたの。それはもう、一瞬はっとするほど」
「……見間違いではないのか」
「わたくしもそう思いまして、今まで黙っておりました。まあ、お美しい方は似通うと申しますから、そのせいかもしれません」
言い終わると同時に髪も結いあがり、私はさっと帝の元を退いた。
それから数日後、再度訪れた先帝の邸で私は母后に呼ばれた。
「典侍、丁度良い所に来たわ。あなたならご存知よね?このお手紙」
差し出された手紙は内裏からのものだった。開けなくてもわかる、四の宮への入内要請だ。
「何故今になってウチにお声がかかったのかしら。桐壺御息所がお亡くなりになって以来、どなたもお召しにならないと聞いていたのに」
母后は握りしめた手をせわしなく組みかえながら目を泳がせている。顔色が良くない。
「どうしましょう……この話、何処まで広がっているの?誰が知っているのかしら」
「今のところ、帝付きの女房の中でも側近中の側近のみでございます。御心配には及びませんわ母后さま」
母后は頷くと、辺りを伺いつつ声をひそめた。
「桐壺更衣はいじめ殺されたようなものと聞いています。私のかわいい四の宮を、あのような恐ろしい方がいらっしゃる内裏になぞやれませんわ……典侍、お前から何とか執り成して、諦めていただくわけにはいかないかしら」
「いえいえ、私にはそこまでの権限も能力もありませんので……ただ、母后さまのお気持ちも痛い程わかります。いきなりお断りするというのも、兄上様のお立場もございますし得策ではありませんものね。どうでしょう、ひとまず当分の間は、礼を失さない程度にお返事を留保されては?四の宮はまだお若いですし、準備が出来ていないとか何とか理由は何とでもつけられます」
「そうね……確かに兵部卿宮に類が及んでは困るわ」
「なるべく他の方にもお目が行くよう、私どもも努力いたしますので」
「ありがとう……助かるわ。よろしくお願いしますね……ああ、疲れた……このところ殆ど眠れていなかったものだから」
ぐったりと身を横たえた母后の寝支度を周りの女房達に託し、私は邸を後にした。
そう。後は待つだけなのだ。
それから程なくして、先帝の邸より訃報がもたらされた。母后が亡くなったのである。
忌明けの頃、内裏から再び四の宮に向けて入内要請の手紙が送られた。
「身構える必要はありません。ただ、こちらに住まう皇女たちと同じように思っていただければ。お気軽においでください」
兄の兵部卿宮は
「母のいない邸で心細く暮らすよりは、内裏住みをさせてもらうほうが余程安全だし、慰めになるだろう。帝付きの女房たちも何人か見知っているが、良い方ばかりだよ」
と入内を勧め、姫宮も心を決めたのだった。
四の宮には「藤壺」の部屋が与えられた。
藤壺の御方のご容貌や立ち姿は、不思議なまでに亡き桐壺御息所そっくりだった。ただ身分は段違いに高く、様々なことに秀でていて、全く非の打ち所がない。貶めることなど誰にも出来なかった。
帝にとっては、最愛の人に似ているとはいえ全くの別人であり、かつてのような――周囲の誹りを受けようとも止められない熱情――を持つことはなかった。とはいえ目の前にいる若い藤壺の御方の華やいだ明るさに、急速に心が癒され、惹かれておられるようだった。それは心変わりという類のものではなく、人としての情というものであった。
此処に至り帝は完全に立ち直られた。とどのつまり、帝を帝たらしめるために最も相応しい女人が満を持して現れた、という形になったのだ。
参考HP「源氏物語の世界」
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