おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

桐壺 五

2019年6月5日  2022年6月8日 
ようやく若宮の参内が叶いましたのは、数えで五つになられた頃だったでしょうか。ますます美しく健やかに成長されたお姿はこの世のものとも思えず、魔ものに魅入られるのでは? などと不吉なことを囁きあう向きもございました。
 その翌年の春、春宮の位が正式に決定いたしました。もちろん右大臣の孫にあたるあのお方です。……若宮ですか? いえいえ、それは流石に無理なお話で……押しもおされぬ第一皇子と、何の後ろ盾も無い脇腹の御子とを並び立てるなぞ、世間が許すはずもありません。何よりあのお方が黙ってはいないでしょう。下手をすれば亡き桐壺御息所以上の危機に……いえ滅多なことは申し上げられませんが……。幸いなことに、帝は毛ほどもそのようなご意向はお見せになりませんでした。
「あれほど若宮を溺愛なさっていても、さすがに限度というものは心得ていらしたのだろう」
と世の人々も思い、弘徽殿女御さまも此処に至ってようやっと溜飲を下げられたのでした。
 一方、若宮を手放された故御息所の母君はすっかり気持ちの張りを失われ、程なく娘のもとへと旅立たれてしまいました。六歳におなりの若宮はもう人の死のわかるお歳でございます、知らせを聞くやお祖母さまを恋い慕い泣かれました。帝も、
「気の毒に……長年可愛がって育ててきた孫を後に残し先立つ悲しみはいかばかりか」
と繰り返し仰られ、涙を堪え切れないご様子でした。

 それからは、内裏だけが若宮の生きる場所となりました。七歳になられ学問を始めてみれば、その尋常ではない賢さ聡明さは空恐ろしいほどでした。帝は、
「今は誰も彼も憎む理由などないだろう。皆、女親のない哀れな子として可愛がってやってほしい」
と、弘徽殿などに渡る時もお供として、そのまま御簾の内にも入らせていらっしゃいました。むくつけき武士や、かつての仇敵……母君に嫉妬しイジメ抜いた者たち……でさえ、この若宮を目にするとつい口元が緩み、不思議に惹きつけられ、無視したり放っておいたりすることなど到底出来ません。弘徽殿には皇女がお二方いらっしゃいましたが比較にもならず、その優美な姿かたちと物怖じしないご様子に、他の女御さまたちも
「何だか幼い子という気がいたしませんわ……姿を晒すのが気恥ずかしいような」
と困惑しながらも、何かと構わずにはいられないのでした。
 若宮は本格的な学問はもとより、琴や笛も宮中を驚かせるほどの才をみせられました。一つ一つ数え上げればきりがないくらい、何もかもに優れておいでだったのです。
 
 その頃来朝していた高麗人の中に優れた人相見がいるというので、帝は密かに内裏に招き入れられました。宇多帝の遺された戒めに従い、人目に触れないようごくごく内密に、若宮を鴻臚館に派遣したのです。後見役・右大弁とその息子を装っての御会見でしたが、この人相見はお顔を見るなり大層驚いて、何度も首を傾げつつ不思議がります。
「このお子さまは……国の親となり、帝王の最上位に昇るべき相をお持ちです。が、そうなると国が乱れ民が憂えることが起きるやもしれません。では朝廷の重鎮となり、天下を補佐する方としてはどうかといいますと、またその相でもないようです。はて……」
 右大弁も非常に優れた学者でしたので、この場で言い交した議論はお互いに大変興味深いものだったようでございます。人相見は
「今日明日にも帰国するという際に、このような類まれなる相の方に対面できて誠に嬉しい。しかしそれ故に別れが悲しくなるに違いない」
と、心のたけを漢詩文に書き残されました。それに対して若宮が大層心を打つ詩句を返されたので、この高麗人は更に感激して褒めちぎり、最上の贈り物を捧げたそうでございます。もちろん朝廷からも、沢山の贈り物が下賜されました。
 彼らの帰国後、誰が言うともなく自然とこの話が巷に広がりました。詳細までは漏れていないものの、春宮の祖父である右大臣などは、なんたることか、どういうことかとお疑いでいらしたようです。
 若宮については、帝の依頼で早いうちから日本人の人相見が既に占っておりました。その結果とかねてからの帝ご自身のお考えを併せ、今まで若宮を親王にも成らせなかったのですが、
「やはり全く同じ見立てだ……。
 若宮を、うかうか無品の親王などにして外戚の後見もない状態で彷徨わすまい。我が御代もいつまで続くかわからないし、世間から帝の位を狙う者だという疑いを向けられないとも限らない。幸い才能もあり優秀な子のようだから、臣下として朝廷の補佐役をする方が将来性はある……!」
 帝はご自身の判断の正しさを確信され、若宮にはますます様々な学問を習わせようと心に決められました。
 亡き桐壺御息所の忘れ形見、若宮はこうして「源氏」という名の臣下……ただ人として生きてゆくことが決まったのでございます。
 
 わたくしの話はこれにて終わりとさせていただきます。下手な語りを長々と、さぞかしお聞き苦しかったろうと思いますが、老いさき短い婆の繰り言と嗤ってお許しいただければ幸いに存じます。今宵の語りはわたくし、靱負命婦でございました。御清聴ありがとうございました。それでは、また。

参考HP「源氏物語の世界
「窯変 源氏物語」橋本治

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