紅葉賀 九(源典侍日記 其の二)
ついに……ついにこの日が来た……!長かった、長かったぜ……!
夕立が暑熱をすこし冷ました日暮れ時、たえなる琵琶の音をたよりに温明殿付近に来てみれば、やはりいた……!ヒカル王子……!
フッ、全くこういう場面は絶対に見逃さないな我が妹婿どのは。流石はこの俺様・頭中将が認めたライバルだぜ。
この半端ない腕前の琵琶……なみいる男性楽士にもひけをとらぬ帝お墨付き・当代きっての演者といえば、源典侍以外にはいない。お、歌い出した。美声だな……「催馬楽」の「山城」か。五十五も過ぎたオババ様とはとても思えないぜ。これは惚れてまうやろ……おっとー、ヒカルちゃん「東屋」を口ずさみつつ急速接近中!
大方、白楽天の漢詩(鄂州(がくしゅう)で船旅中女の歌声に惹かれた)でも連想したんだろ。平安貴族のマストとはいえその教養ひけらかしっぷり小賢しいね。ま、俺様にもわかるくらいだから大したことないけどさ。
「どうぞどうぞ、押し開いていらっしゃいませ♪」
こっちも年の功というべきか、受け答えも完璧!
(東屋の 真屋のあまりの その 雨そそぎ 我立ち濡れぬ 殿戸開かせ 鎹も錠もあらばこそ その殿戸 我鎖さめ おし開いて来ませ 我や人妻(催馬楽-東屋))
「雨に濡れて立ち寄られる方もいないこの東屋に
嫌な事、落ちて来るのは雨だればかりですわ」
ヤバイ流し目キター!ヒカル、体引くな(笑)
「ひ、人妻は厄介ですからね!私なんてとてもとても!そろそろお暇しようかなと……え、いや、あの」
あれあれー?そんなこと言いながら、するするっと入ってっちゃったよウケル!
……嘘だろ。出てこないんだけど。ホントにお泊りしちゃうわけ?!……待てよこれは俺様を試す何かの罠か?!いやそうだよな!よしそっちがそう来るなら乗ってやろうじゃないの。待機モードオン!
おっといけない、涼しくなってきたからついウトウトしてしまったぜ。もう夜中だな。突入ー!
オラオラオラ!隠れても無駄無駄無駄ァ!屏風なんかこうしてやるぜ、端からバタバタバタっと。ククク、いい眺めだぜ。当代きってのイケメン王子のこの情けない姿、妹の葵にも見せてやりたいもんだフハハハハ!(刀スラーー)
「いけません……!おやめになって」
スっ、と手首に置かれるひんやりした手。暗い中でもその白さがわかる。源典侍……歳は俺の母よりずっと上の、紛れもない婆様だ。なのに何だこの、ぞくぞくする感じ……? 灯りのない、月の光も入らない部屋の中で俺は目を凝らす。ヒカルの気配を感じ、腕をとらえる。慌てて羽織ったとみえる直衣はめくれあがって、掴んだ場所は素肌だった。近くに引き寄せると、目も馴れたのかはっきりと顔が見えた。
笑っている。
なんだ、こいつ……?
急激に頭に血が昇った。こいつ、こいつのこういう所がいつも本当にムカつく。こんな窮地を俺に抑えられて、どんなに狼狽えているかと楽しみにしていたのに。くっそーーー何故俺の方が動揺しているんだ……!しかも帯!帯解くな!何のつもりだヒカルこいつ!やっぱり罠だったんだ!畜生!
闇雲に揉みあっているうち、ビリっと音がして袖が千切れた。ヒカルの直衣だ。よーしやってやったぜ!
「これでヒカルの堅物真面目キャラも終了♪
引っ張り合って破れたこの着物みたいに
それ着て帰ったら一目瞭然だわなザマア!」
ヒカル、即答
「ここまでやってきたからには貴方も同罪ですよ♪
そんな無防備な薄着ですぐ脱がされて、詰めが甘いんだよ」
……何?
袖を掴んだままの腕に、再びひやりとした感触。典侍の指がゆっくりと這い上り、頬をそっと撫でる。
「元気のよろしいこと。でも、もうおしまいにしましょう。……ね?」
耳元で囁かれ、全身に鳥肌が立つ。熱くなった頭が体ごと一気に冷え、動くことが出来ない。
ヒカルが薄笑いを浮かべたまま、遠ざかっていく。待て……待ってくれ……体が……いう事を……
「うふふ」
え?それからどうしたのですかって?
勿論、御返しいたしましたわお二人ともに。
何をって、お忘れになられた指貫(袴)や、千切れたお袖、帯をね。
「怨んでも仕方のないことでございますが
次々と寄せて返す波のようなお二人のお振舞いには涙も出ませんわ
まさに『涙川の底も露わに』なりましてございますわ」
それに対するヒカル王子の御返歌がこちら:
「荒々しく暴れた波(頭中将)の振舞いはいつものことなので驚かないですが
引き寄せた磯、張本人の貴女をどうして怨まずにいられましょうか」
あら、何をお怨みに?と不思議に思っていましたら、いやだ、アテクシとしたことが……ヒカル王子の千切れたお袖を頭中将さまに、頭中将さまの帯をヒカル王子にお返ししてしまいました。年ですわね(微笑)。早速お知らせしようと思いましたら、既にお歌と共に交換しあったようです。まず頭中将さまからお袖を
「とりまコレ縫い直したら?」
と包んで寄越されたヒカル王子、帯を同じ色の紙に包んで
「あなた方の仲の切れ目が私のせいだと非難されかねないですから
『縹の帯』はお返ししますよ。私関係ないですからね!」
と突き返したところ、頭中将さま
「えっ何その他人事?俺の帯はヒカルに取られヒカルの袖は俺に取られ、キッチリ両成敗ってことじゃん?自分だけ無かったことにしようなんてそうはいきませんぜ兄弟!」
と。
結局、お二人だけの超極秘・機密扱いということで合意をみたようでございます。それ以来私の姿を目にするや、あからさまに避けるとまではなさらないけれど、いつの間にか何処へやらいなくなられてしまいますのよ、お二人とも。判で押したように同じ。何やかやと張り合っておられますけれど、その実仲睦まじいことこの上なきことで、何よりですわね。お羨ましいことでございます。
さて、そろそろ仕事に戻らなくては。
参考HP「源氏物語の世界」
<紅葉賀 十につづく>
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