おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

紅葉賀 六 ~王命婦ひとり語り~

2018年12月17日  2022年6月8日 
こんにちは、王命婦でございます。藤壺で長く女御さま付きの女房を勤めさせていただいております。
 藤壺の女御さまのご出産についてのお話ですね?決して他に漏らさぬとお約束していただけるなら……では、少しだけ。

 藤壺の女御さまは、師走が過ぎ年が明けましても一向に産気づく気配はありませんでした。今か今かとお待ちになられている帝や宮家の方からの御心配のお声、そして
「物の怪のせいで出産が遅れていると聞くが大丈夫か」
という世間のお噂も日に日に大きくなり、お耳に入れたくなくとも入ってきてしまいます。ええ、月の数えが合わない理由を
「物の怪のせい」
と最初に断言されたのは帝でした。本当に、あのお言葉が無ければ誰に何を言われていたことか。
 それでなくとも当の女御さまが一番気に病んでおられて
「このお産……無事に済むと思えない」
と気鬱に悩まされ、体調もはかばかしくないこともあり、ただひたすらに苦しい日々を過しておられました。

 その頃中将になられたヒカルの君が、ご挨拶にとお立ち寄りになるところといえば内裏、春宮、一院そしてわたくしたち藤壺の三条の宮でした。ヒカル様がいらっしゃるとそれはもう皆が色めき立って、
「今日はまたひときわお美しくていらっしゃる」
「ご成長なさるにつれますます、恐ろしいほど素敵になられるわね」
と口々に褒めたたえます。女御さまは直接お声をかけることはなく、まして顔出しなどありえませんでしたが、几帳の隙間から嫌でも様子は窺えますから、なかなかに複雑なお心持ちでおられたようです。勿論、最側近のわたくしたちも周囲に勘繰られないよう、常に神経を張り巡らせておりました。
 内々の情報(by侍従&右近)によれば、ヒカル様はあちこちのお寺に御祈祷などさせていらしたようです。もちろん誰のためか何のためかはぼかされた上で。
 皆の
「この世は無常、はかなく終わってしまうのではないか……?」
という不安が頂点に達したころ、ついに二月十余日、男御子がお生まれになりました。帝をはじめ宮中は一転、歓喜に包まれましてございます。

 女御さまは初産でいらしたので相当に消耗され
「これでまた命永らえないといけなくなった……辛い」
などと気弱なことを仰っていらっしゃいましたが、
「弘徽殿の方が、何かこちらを呪うようなことを……」
と、「ついうっかり」漏らしましたら、
「……何てこと……!このまま弱ってしまったらあちらの思う壺、負け犬として世間の笑いものになるわね」
と、そこから一転気を取り直され心身共に回復に向かわれました。元々は気骨のある女御さまですもの。案外、あちらの御方も使いようということですわね(微笑)。

 一方帝は、いつお子さまを見られるのかと毎日待ちかねていらっしゃいました。女御さまにひと目でもお逢いしたい、お声なりと気配なりと知りたいと熱望しているヒカルの君はこっそりと三条宮においでになり
「帝が一体いつになったらと焦れていらっしゃるので、わたくしがまずお目にかかってご様子を詳しくお知らせしようと思います」
などと白々しく仰せられたのですが、さすがに女御さまも
「まだまだ見苦しい状態ですので!どなたにもお会いしません!」
とキッパリはねつけておられました。まあ至極当然のご対応ですね、いくらなんでも出産直後に非常識というものです。
 それにしても若宮は空恐ろしいほどヒカル様に生き写しでいらしたので、藤壺の女御さまは良心の呵責に苦しみ、
「誰が見ても疑わしく感じられるほどのこの顔、過ちに気づかないわけはない。もっと些細なことでも疵をあらさがしするような世間なのに、どのような噂に私の名が漏れ出していくだろうか」
と思いつめられておられました。

 女御さまに逢えないヒカルの君は代わりにわたくしをお召しになり、何くれとなくお願いされるのですが、無論何一つどうすることも出来ません。若宮のこともむやみに根掘り葉掘り聞きたがるのを
「なぜそれほどまでに……ご回復されて内裏に上がられるようになればいくらでもご覧になれるでしょうに」
などと知らぬ顔でかわす他なく、とにかく迂闊なことは言えないと口を噤んでおりました。
「いつになったら直にお目にかかれるのか」
とお泣きになる様子を、(そんな日はもう永久に来ない)と確信しつつ、心苦しいままただ見ているしかありませんでした。
「いかなる前世の御縁で
 このような現世の隔てがあるのか

 こんなこと到底納得いかない!酷い!」
 わたくしも普段から女御さまの思い悩むご様子を目にしておりますので、さすがに無視はできず……まあ、少し大人げない気持ちになりまして。
「子を見ては物思い、見ない人は見たいと嘆く
 これこそが世にいう、親が子に惑う闇というもの

 結局どちらにせよ納得いくようなものではないのですよね」
と囁きました。

 こうして思いのたけを伝えるすべもなく、むなしくヒカルの君は帰っていかれましたが、もとより女御さまは人の噂に立つようなことは一切避けたく思っていらしたので、ご訪問自体迷惑に感じておられたようです。わたくしに対しても昔のように打ち解けた親しさは消え、目立たないようさりげなくではございますが、明らかに距離を置かれていることは察せました。側近の女房としては決してやってはならぬことをやらかした身として覚悟はしておりましたものの、まことに不条理で、寂しくわびしい気持ちでございました。

 四月に入りようやく母子そろって内裏へと参内されました。若宮さまは標準より大きく育たれて、はや寝返りなど打ちはじめておられました。その、ヒカルの君そのままのお顔付きに帝も驚きの色を隠せませんでしたが
「まあ、並ぶもののない優れた者たちは、このように似通うことがあるのだろうな」
と無難に理由づけて仰います。何にし、大変なお可愛がりようでございました。最愛の女性の忘れ形見であるヒカルの君へと注ぐはずだった愛情、東宮に据えられなかった口惜しさ、やむなく臣下としたもののありあまる才気と容姿にて成長していくのを見るにつけて長年溜まっていった疚しさ、そのすべてを一気に目の前の幼子へと振り向けているかのようでした。
「このように家柄も身分も申し分ない高貴な母親から、ヒカルと同じように光り輝く、何ら疵のない玉のような子が生まれた!」
と手放しでお喜びになる帝に、女御さまは身の置き所もなく安らげないご様子でした。

 ヒカル様の方も、藤壺にて管弦遊びなどしている折にふいと帝が若宮を抱いて傍に寄りそい、
「子供は何人もいるが、このように明け暮れずっとそばに置いて見た子は初めてだ。だから思い出すのかもしれないが、あなたの幼い頃と大層よく似ているね。これだけ小さいうちは皆このようなのだろうか」
と、天然なのかわざとなのか判然としないことを問いかけられたこともありました。
 ヒカルの君は顔色こそ変わりませんでしたが、畏れ多くも、嬉しくも、哀れにも、そぞろに心を揺さぶられたのか思わず涙を落とされていました。若宮が声を出したり笑ったりするとそれはそれは尊く愛らしく、このような子に似ているとはなんと勿体ないこと……というのも自らを褒めるようで何とも仰りようがありません。女御さまはただただ俯いて密かに冷や汗を流されるばかり。狼狽えたヒカル様はいたたまれなくなったのか、早々にその場を去られました。

 二条院に戻られたヒカルの君はやり場のない思いを鎮めかねたのでしょう、前栽の緑に映える常夏を手折らせて、長文のお手紙に添えて送られました。
「あなたになぞらえて幼子のお顔を見てみたものの、心は慰められなかった
それどころかなお泣けるばかり
 花は咲いても(若宮が生まれても)所詮は世間で許されない私たちの仲ですから…」
 隙を見て女御さまにお見せし、
「ほんの少しでも、この花びらに免じて」
とお返事をお願いしました。さすがに自ら思う所もあられたのか、
「袖を濡らす露にゆかりのある花と思うにつけ
 疎ましく思えてしまいます」
と走り書きをくださいました。遂に、と喜んで持って行くと、
「どうせいつものように返事はないのだろう」
とくずおれてしょげ返っていた王子はうち震えるほど喜び、うれし涙まで流してらっしゃいました。このお手紙……かなりストレートに迷惑だと言い切っておられるにも関わらずこの喜びよう、もしやお返事をしていただいたことは間違っていたのかも、また私は取り返しのつかない判断ミスを犯したのかもしれない……と少なからぬ不安を覚えたのでした。

 わたくしこと王命婦の話は以上でございます。此処で聴かれた話はどうぞくれぐれも、他言無用でお願い申し上げます。
<紅葉賀 七につづく>
参考HP「源氏物語の世界
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