2016年2月9日火曜日

1月に観た映画

大学のレポート用に、長女が新旧二本借りてきた。
新しい方は初見。

「日本のいちばん長い日」1967年・2015年

いきなり結論を言うと、観るなら断然古い方。
旧作は随分前に観たのだが、二回目の今も色褪せるどころか、鬼気迫る緊迫感はそのまま。いや、新作を観てからだったので余計に引き立った。まず空気感がちがう。1967年、まだまだ戦争の記憶が生々しかったのだろう。道を歩く兵隊さんの列や、声の出し方・敬礼の仕方、街の雰囲気、人々の立ち居振る舞いなど、監督はじめ演じる俳優、裏方に至るまでおそらく関係者のほとんどが「実際に見聞き」した場面であり、「ありふれた日常」の光景だったろう。つまり演技を越えたところでの現場の一体感は半端無かった、と思われる。ここで既に、戦後生まれのスタッフによる新作版にはかなり分が悪い。カラー撮影で画面が綺麗すぎるのも良し悪しで、逆にリアリティを奪うのかもしれない。真新しい軍服、小顔でお肌つやつや・手足の長い若者、などなど細かいところがどうしても不利だ。

しかしその辺を割り引いてもなお、このタイトルで映画を撮るなら、旧作がそうしているようにそのまんまの「一日」を徹底して追うしかない、と思うのだ。昭和天皇のご聖断を受け、玉音放送を以て全国民に終戦を宣言する、たったそれだけのことを行うのがとてつもなく大変なことだった、という事実を。
世の中は意外に取り決めや手続きや、細かい事務処理で動いている。「終戦処理」という国家の一大事であってもそれは同じであった。当時の日本が、軍の力が強かったとはいえ独裁国家ではない、法律に基づいて国会運営を行うれっきとした民主国家であったことの証左である。

この時機に立ち会った人たちは、今の私たちが想像も出来ないくらいの葛藤を抱えながらもありったけの理性を働かせ、気力体力の限界ギリギリまで使ってこの大仕事を完遂した。

そう、あくまで「仕事」なのだ。

人の数だけ考え方があり、思いがある、だからこそ私心を出来るだけ抑え、堪えて、粛々と進めて行かねばならない。冷静に、慎重に、かつ急がねばならない、今この一瞬にも、国の内外で国民が傷つき斃れているのだから。どれほどの焦燥感、どれほどの重責だったろうか。そこにプライベートな雑事は入る余地がない。

新作でもっとも失敗だったと思うのは、阿南陸軍大将の「家庭的な面」を前面に出しすぎたところだろう。役所広司という役者の上手さを見せるにはいいが、正直、緊迫感をそがれる大きな一因になってしまったと思う。旧作で、この戦後処理を「大日本帝国の葬式」だと言うシーンがあるが、まさに一世一代の大仕事に、単なる「いち家庭」の何が関係あるのか? それならば、軍国主義の権化のようにことさら悪く描かれている東条英機も、よき家庭人だったと聞く。阿南の死は悲劇的で胸を打つが、自殺を試みたが死にきれず、東京裁判で論戦を闘いぬき、粛々と絞首刑に処された東条の生き方もまた、ひとつの責任の取り方ではなかったか。というか戦後処理に直接的な関与がなかった人物をわざわざ、しかもかなり偏ったイメージで出す意味がわからない。
クーデターを起こそうとした青年軍人も、大臣も、首相も、陸海軍の将校たちも、家庭を持ち普通の感情を持った人間であった。皆それぞれに、日本の行く末を考えに考えて、自らの信じる所にしたがって行動したのだ。結果を知る私たちに、当時の人たちの思考や行動を愚かだとか、無謀だとか、狂っているとか批判する資格はない。 

ともあれ新作の各役者さんたちは本当に懸命に演じていて、それぞれに魅力的であったので惜しい。(特に東条役の方はソックリ! 昭和天皇役の本木さんも素晴らしかった)。このキャストのまま、岡本版の脚本で、リメイクしてほしい。でなければ、本土決戦を叫んでクーデターを起こそうとした側からみたこの「一日」を描いてほしい。軍国主義に洗脳された狂人としてではなく、一人の人間として描ききれば、戦争というもののリスクの高さ、割の合わなさというものを、観る人に強烈に印象付けられるのではないか、と思う。