若紫 一
時は春爛漫の三月末(旧暦なので、実際は四月)である。
この季節の変わり目に体調を崩したヒカル王子、都で評判の坊様の庵に転地療養。
(平安時代、一番のインテリといえば坊さん。 薬の知識も持っていて医者の役割もこなしていた)
この腕のいい坊様、都からちょっと離れた北山というところに住んでいた。わずらわしい日常から離れて、静かに心身を休めるにはうってつけの場所。しかも坊様であるから物の怪の調伏=気鬱やお悩みのカウンセリングもお手のもの、 ヒカルはどんどん元気になっていくのだった。
元気になってくると、勝手なもので暇をもてあましてくる。
特に、お供をしているだけの家来達はヒマなので、そこいら辺をぶらぶらしていると、女の人や子どもの声がする。覗いてみると、身なりも綺麗だし話し方も上品だ。
はて
こんな悟り済ました人が女を囲うでもあるまいに。何者が住んでいるのだろう?
ヒカル王子は京の都を霞の向こうに見ながら、こんなところで暮らしたらどんなに幸せだろうねえなんて呑気に言っている。 まあいわゆる都会育ちのお坊ちゃまのテキトーな戯れ言というやつだが、それも無理は無い。身分こそ家臣とはいえ、最上級の貴族であることにかわりはなく、加えて帝の子でありお気に入りでもあるヒカルは案外自由がきかない。大した遠出はできないので、もっぱら活動範囲は都周辺に限られる。
対する家来衆は、自身はもちろん家族や親戚が地方づとめを経験している者も多く、かくて坊ちゃまのつれづれを慰めるために諸国ぶらり旅ばなしに花が咲く。
その中でも出世頭の、播磨の守という若者の話が、ヒカルの心を惹きつける。
「播磨の国の明石の浦に、元国司の、出家した男が住んでおりましてな。
男は家柄も良く、近衛の中将にまでなった人間なのですが、これがそうとうな変わり者で……国司(地方勤務)になることも自ら申し出たといいます。
ところが出家したというのに山に篭もることもせず、妻子と海沿いの豪邸に住みつづけている。その娘というのが、若く賢く美しいと評判で、言い寄る男はひきもきらないのですが、がんとして首を縦に振らない。(どうやら播磨の守もかなり言い寄ったらしい) そればかりか
『この娘は特別なのだ。
もし私が先立つようなことがあって
志が遂げられないようなことがあったら そのときは海に入ってしまえばいい』
などとうそぶく始末で」
家来達は、自他共に認めるリア充・播磨の守がこっぴどく振られた話を面白がりつつ、
それにしてもえらくタカビーな親父だなあ
娘を海の王の嫁にでもする気かね、
と笑いあう。
いっぽう播磨の守は、今でも諦めきれず未練たらたらな様子。「どうせ情緒も何もわからない田舎娘ですやろ?」とからかう同輩に、
「いやいや、それがそうでもないんだ。いろんなところから気の利いた女房やら何処やらのお嬢さんやら呼び集めて、けっこうな教育を付けているらしくてな」
などとどこで調べたのか妙に詳しい。
ヒカル王子も
「親の思い込みが強すぎるのも、なんか引くね…そんな田舎で頑張ったってたかが知れてるだろうに」
と、いいつつもかなり興味を惹かれた様子。心身ともに確実に回復されたようである。
今日一日、こんな調子で物の怪も現れず平穏に過ぎたので、すぐにでも都にお帰りになれば、とお供の者はすすめたが、 坊様の方は、
今日のところは念のためゆっくり静かに様子を見て明日の朝お帰りなさい
などと仰る。
帰りたがるお供たちは都に返し、気心の知れた惟光のみ残して、ヒカル王子は気になる例の柴垣のあたりをそぞろ歩く。
ゆったりまったり暮れていく北山の春の夕。
そこで待っていたのは……
教科書にも載っている、おなじみ
紫の少女
との運命の出会いであった。
<若紫その二につづく>
参考HP「源氏物語の世界」
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