「塗仏の宴 宴の支度」
どんどん行きますでー。久しぶりの京極さん鈍器本。でもこれは塗仏の宴その一なのよね。宴の始末、に続くのだ。
「塗仏の宴 宴の支度」京極夏彦(1998)
これがもう三十年近く前に書かれたものだとはとても思えない。「絡新婦の理」から地続きの世界、暫く離れていたのにも関わらずあっという間に引き戻された。これほどの字数のある作品を、人はいったいどのくらい覚えていられるものだろう……という疑問にも一部答える形になっている。そして京極さんの作品のどれにも言えることなのだが、途中途中で繰り返し設定や状況を把握できるような親切設計になっており、非常にわかりやすい。かなり難しいことを話していても、何だか理解できたような気になる(多分気のせい)、カタルシスもふんだんにある。
人の記憶は、ただアクセスできないだけで実はずっとそこに存在しているという。PCのハードディスクに書かれたものはたとえ削除をかけても本当に消えるわけではない、というのと同じだろうか。そう考えると、年を取って物覚えが悪くなるというのは、長年書き込まれまくったディスクの経年劣化なんだろうな。昔のことほどよく覚えてるというのも、ディスクがまだ新しい頃に書かれたものだから壊れにくいってことか。うわーん切ない。
話がズレた。ともかくも、冒頭に書いたようにこれはまだ「上巻」。関口君大ピンチの巻なので早く下巻を読みたい。でもタイミングを見計らわないとえらいことに……年末年始か。
コメント
コメントを投稿