おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

「華麗なるギャツビー」

2025年1月23日  2025年1月23日 

  これも録画してたやつで「エルヴィス」と同じ監督。スコット・フィッツジェラルドの原作(1925年刊行)を五度目の映画化、他よりも原作に忠実に作られているそうな。

映画.comより

「華麗なるギャツビー」バズ・ラーマン

The Great Gatsby  Baz Luhrmann(2013米)

 ※今回ネタバレしまくりです。まあ十年前の映画だし原作も有名なんでいっかーと思って。でも一応空けます。


 




 とはいえ私が原作読んだのは遠ーーーい昔なのであらかた筋を忘れかけていたが、ただひとつ

「デイジーがヤバイ女」

ということだけは覚えており、この映画でもまさにその通り、のっけから地雷臭ふんぷんたる美女っぷりだった。回想に入った冒頭でソファから顔を出すシーンはマジ天使ですよ天使。ああこれは狂いますわわかりますわと女でも思う。この一瞬を後々まで説得力ある絵にするために、女優も監督も他スタッフも一体どれほどの努力と気概が必要だったろうか。ここだけでも十分観る価値ある。

謎の大富豪ギャツビーのお城で週末の夜ごと行われるド派手なパーティーの絵面は、まるで萩尾望都の漫画みたい。萩尾先生は観た映画や演劇の場面をすべて記憶して絵にすることができるという北島マヤばりの異能持ち、この監督の映画ももしかして観てらっしゃる、のかもしれない。第一次大戦後の好景気に浮かれる華やかで金満で放埓なアメリカ(ただし主な登場人物の中に黒人はいない)、ここから四半世紀足らずで「エルヴィス」で描かれた時代かと思うと、つくづくアメリカは極端から極端への振れっぷりがすごいと思う。

原作にはモデルとされる人がたくさんいて私小説な傾向が高いのだが、2013年の映画をこの年で観てみて、当映画の最も素晴らしい功績は

デイジーという最低最強の怪物

を可視化したことなんじゃないの?と思う。世間知らずのお嬢様然とした天然とみせてその実、作為バリバリの真正ヤバイ女を。

もちろん同情すべき点はある。大きな戦争もあったし、恋人を待つことが出来ず富豪のトムと結婚してしまうのも、当時の良家の子女としては致し方なかろう。結婚後すぐトムの浮気に苦しめられたデイジーが、生まれたばかりの子が女児と知って放ったセリフ:

「女の子でよかったわ。この世界じゃ女の子は程よくバカでキレイであればいいもの」

も、捨て鉢になった挙句の自己防衛策であり処世術の一種と考えられなくもない。だがこれは、ただ一途に恋人を想い続け、恋人に相応しい男になる!の一心で積み上げ叩き上げてきたギャツビーとは最悪の相性なのだ。

 大体にして初めから

「君のために金持ちになり今の地位を得た。君と一緒に住もうと思って城買った」

と明言してるギャツビーに対し

「何もかも捨てて遠くへ逃げたい」

なんてことを平気で言い放つのにはたまげた。いやそれ違うだろと明らかに失望した風のギャツビーを見ても、え?なんで?とキョトン顔。「わからないふり」は最強だよね白黒ハッキリさせなくていいから。この女、ギャツビーの長年に渡る切なる思いなんぞ一顧だにしていない。ただ現実から逃げたいだけ。甘くロマンチックな恋愛を楽しんでるだけ。やっぱり後先考えてない人ほどこういうことを言いがちなのねーと、「光る君へ」の道長くんを思い出してしまったよ(いやここまで酷くないけどさ)。

当然離婚する覚悟なんぞあるわけがないので、のらりくらりとギャツビーの求婚をはぐらかし先延ばしし続ける。業を煮やしたギャツビーが話し合いの場を作ってもなお往生際悪く逃げ続ける。遂にはトムがギャツビーの過去や後ろ暗い仕事を暴露し侮辱して二人もみ合う段になっても、止めるでもなく庇うでもなく、えー今初めて知りましたー()そんな人だったなんてー()ドン引きだわーな顔。いや気づくやろ普通。ギャツビーが本当は生まれながらの上流階級じゃないってことも、なのにこの若さで贅沢三昧出来てるのはどういうことなのかも少し考えれば。しかしデイジーは「バカ=深く考えないし理解もしない」スタンスをキッチリ踏襲するのだ、最後の最後まで。

ギャツビーは純粋すぎた。ニックとデイジーの言葉通り(さすがいとこ同士というべきか、異なるタイミングで同じことを言ってた)

「多くを望みすぎた」。

人生を賭けて掴んだ夢は幻だった、すべてが徒労だったと認めるのはあまりに辛すぎる。ニックからの電話をデイジーだと思い込み、喜び勇んで受話器に手をかけたところで撃たれたのは、せめてもの神の慈悲なのかもしれない。

デイジーに妻をひき逃げされた男の不幸は言うまでもなく、夫のトムにしても妻をその罪ごと引き受けて、これからも長く人生を過ごさねばならない。

それにひきかえ「何事も深く考えない・理解しない」デイジーは罪悪感などというものには無縁。夫の庇護のもと、きっと何事もなかったように新天地で「幸せに」暮らすのだろう。美しき空虚が邪悪を引き寄せ呼び覚ます、という図式は「源氏物語」の女三の宮っぽい。

 とまあかなり胸糞な話なのに後味が悪くなかったのは、ニックが手記として文字に落としたからに他ならない。タイトルの「Gatsby」にgreatと書き加えるシーンは切なくも感動的だった。どんな不幸も醜悪も、文字にあらわす事である意味浄化されるのかもしれない。面白かった。ディカプリオはじめ俳優さん達全員ハマり役。

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