おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

「統合失調症の一族」「ヴァリス」

2024年6月6日  2024年6月6日 

  随分前に予約していた本がようやく順番が回ってきた。ついでに色々借りようとふと目に留まったフィリップ・K・ディックの一群。ろくに中身も見ず何気にスッと一冊とって一緒に借りて持ち帰ったんだが、なんでよりによってこの本にしたのか私。ハマりすぎててヤバかった。たまにこういうことがある。


「統合失調症の一族 遺伝か、環境か」ロバート・コルカー 著/柴田裕之 訳(2022)


 十二人の子供のうち半分の六人が統合失調症に、というかなりショッキングなノンフィクションものなのだが、精神医学の研究と発展の歴史を間に挟みつつ、一家に起こったことを時系列で・冷静な筆致で綴っていく形式は秀逸だった。ようもまあここまでガッツリ調べたものと感心するしかない。厚みのある本だが結構すぐに読み切った。

 結論としては「遺伝」も「環境」も両方素因はあるが絶対ではない、といったところ。個人的には、この家庭自体ストレス過大すぎ・全員若年層から薬物摂取しすぎ、という印象だった。特に女子二人はよくもよくもここまで生き延びて来られたものだと思う。人間の複雑さと単純さと脆さと強さ、美しさと醜さ、相反するものが全部同じ台の上に載ってる。

 そもそも第二次大戦後のアメリカ、ベビーブームの時代とはいえ、

「十二人もの子供を産む」

 こと自体尋常ではない。両親はさして先のビジョンがあったわけでもなく、有体に言ってしまえば

「できたら産む」

 を繰り返しただけ。堕胎や避妊を避ける宗教的な理由もあったにせよ、母親自身の「家系に対する高いプライド」と「現実を直視しようとしない癖」によるところが大きい。医師から止められてもなお、というのは既にして病的。確かに子供は希望の象徴ではあるけど、それで親の人生がリセットされるわけではないし、価値が上がるわけでもないのに。

 次々と生まれ来る子供、夫婦二人で手が回るわけもなく、勢い「集団を管理する」方式をとらざるを得ない。先に生まれた者から順次家事育児に従事させ、両親は仕事で遠出し不在がち。大人の目が殆ど届かない12人の子供、どうなるかは火を見るより明らかだろう。

 当時のアメリカ社会が薬物に塗れていたこともデカい。何で普通の高校生が薬物気軽にやっちゃってるのか。遺伝的な素因あり・家庭はストレス過多・薬物乱用(多分ドーパミンどばー系?)ときたら、むしろ半分無事だったのが不思議なくらいだ。

 ただこの両親、特に母親は子供を決して見捨てはしなかった。彼女なりに出来得る限りのことはしたと思われる。「現実を直視しようとしない癖」が逆に功を奏したのかもしれないが、親としての責任は全うしたといえるかもしれない(色々間違っていたとはいえ)。客観的にみてとんでもない一家ではあるが、統合失調症に係る精神医療に多大な貢献をする結果にはなったわけで、何がどう転ぶのかって本当にわからないものだ。

 様々な悲劇、それによるトラウマや恨みつらみを克服しある領域に到達した次女の姿は崇高かつ感動的だが、一方で少し危うさも感じた。一家に直接かかわろうとしない長女のスタンスの方が普通だし健全に思える。出来るだけ無理なく緩く、いい加減に生きていきたいものよ。


「ヴァリス」フィリップ・K・ディック/山形浩生(1981)

           VALIS "Vast Active Living Intelligence System” Philip K.Dick

          

 なんとまあ、上記の本を地で行くような話だった。作家本人が実際にみた幻覚体験を小説化したもの、というからガチ。先にこれ↑を読んでなきゃ到底読み続けられなかったと思う。もし興味がわいたらこの順で読んでみてね。でもあまりおススメはしない、疲れるから(←おい)。

 上記の本での、統合失調症についての説明に、

「脳内で、通常はある年齢までにカットされる回路や何かが、そのままになってる状態」

 というのがあった。その「カットする」役割を担う物質が不足している人が発症するのではないかということで、胎児のときから対策するとか、生まれてからも予防のため投与するとか、そういう研究がされてるらしい。

 要は物凄く過剰に脳内にあるものが表に出てきて互いに繋がってしまう、という状況だとすれば。

 フィリップ・K・ディックのような知能の高い、語彙力も知識も半端ない人はそりゃこうなるわな、といった内容だった。なまじ情報処理能力が高いだけに、何とか力業で辻褄をつけて理屈が通るようにしてしまう手腕も凄い(いや、通ってないんだけど)。これはあくまで小説だが、いったいどこまで本気で書いたものか、完全に客観的に「狂気に陥った自分」を描いたものなのか、混じってるのか本当にわからない。

 全然レベルが違うけど、私が百話チャレンジの最後に書いた「開闢」、彼女が観たあの世界をすべて表現しようとするとこうなるのかもと思った。人間の脳はやはり精密機械なのだ。過剰な量と内容のデータをぶん回そうとすると暴走して焼き切れる。心身ともにバランスよく生きねばならぬ。くわばらくわばら。 

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