「バウドリーノ」「地球へ…」
はい、また全く脈絡ないラインナップきました。
”Baudolino” Umberto Eco(2000)
訳:堤康徳(2017)
此方は買ったのも読み始めたのもずいぶん前だった。文庫版の発売は2017年、本屋で平積みしてあった気がするからなんと六年前か!ひえー。
つまんなかったわけではない。むしろ読みやすくて面白かった。ただ掃除をしたときウッカリ奥の方にしまってしまい、それきり暫く存在を忘れていた(積読多いので)。その後思い出して発掘したものの、他に読む本が多すぎてどんどん後回しになり今に至る。腰痛をこらえながら読むにはどういうわけかちょうどよかった。
というのも話としては大変わかりやすい王道で、いい感じに荒唐無稽・ファンタジー風味たっぷり、恋愛あり悲劇あり喜劇ありちょいエロあり、更にミステリ要素がガッツリ物語の中心にあって飽きない。出てくる人物がこれまた癖の強い変人揃い(人でないものもいる)。まずバウドリーノがどんな言語でも暫く聞けば覚えられるという異能を持ち、適当な嘘をガンガンつきつつ世渡りしていくという、割ととんでもない主人公なのだ。
浅学な私にはこの小説に隠された種々の古典や神話や聖書、詩からの引用や直喩隠喩の妙まではわかりかねるが、何も前提知識がなくともこのヘンテコな世界は十分楽しめると思う。少なくとも「薔薇の名前」よりは相当ハードル低い、ような気がする。他のもゆっくり読んでみたい。
「地球(テラ)へ…」竹宮恵子(1977-1980)
勿論再読。だったのだが、こんな凄い話だったのか!と改めて感動した。今読んでも全然古くない。いやテクノロジーに関してはさすがに多少の古さはあるけど、そんなこと全然気にならないほど物語に力と勢いがある。宇宙船の形状や内部の計器類は松本零士ばり(実際にはひおあきらがメカデザイン担当だったらしいけど、合作は成らなかったらしい)で、私ら昭和世代には定番の景色で違和感なし。設定や展開にふんだんに含まれる様々なSF小説や漫画の要素もさることながら、竹宮先生自身の作品「ファラオの墓」ばりの壮大なドラマ。自由を求めて外の世界へ飛び出した(または飛び出さざるを得なかった)少年の成長物語でもあるところも良い。
創作物に出てくる「超能力者」はおよそ小説であれ漫画であれ、大抵は普通の人間から忌避され差別を受け、孤立する。これより少し後に描かれた萩尾望都さんの「スターレッド」で、
「超能力はとどのつまり退化ではないか?目で見えないものも見える、耳で聞こえないものも聞こえる、喋らなくても心で会話できる、手で触れなくても物を動かせる、足で歩かなくても移動できるのなら、目も耳も口も手足も要らなくなる。果たしてそれが人間といえるのか?」
うろ覚えだがそんなセリフが出て来たのを思い出した。相手が同じ姿をした生き物だからこその嫌悪感なんだろうか?現に「地球へ…」では、機械のいうことなら差別的であれ何であれ諾々と従う人類、という図式になってた。
さて今、テクノロジーの発達が「異能」を次々実現しているようにも思える。AIがどれだけ創作の世界に入り込むのかはわからないけど「地球へ…」の世界でのミュウのように、機械と戦ってやる!的な動きになるのかどうか。破壊するのではなく何とかうまく利用してつきあって、新たな表現が生まれるという未来を望みたい。
>
コメント
コメントを投稿