おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

「暇と退屈の倫理学」

2023年1月16日  2023年9月12日 

 本を読む動機・理由が何かは人それぞれだし、私自身にしても決まった基準があるわけではない。好きな作家さん著者さんの本を読むことが圧倒的に多いけれど、流行ってる・話題になってる本を手に取ることもあるし、本屋で何となく目に留まってということもある。逆に、ずっと好きだったのにある時から読まなくなったということも、ままある。



「暇と退屈の倫理学」國分功一郎(2022)

 帯にデカデカと東大&京大で第一位!そしてとある芸人さんの「哲学書で涙するとは思いませんでした」というコメント。前者はよくある宣伝文句だが、後者はやや引っかかった。まあこういうのは編集者のやることで、著者や内容にはほぼ関係ないもんなと思いつつ読み始めた。

 初版は2011年に刊行、2015年に増補版が出て、2022年に文庫化されたらしい。率直にいって大変面白い本だった。あるテーマに沿って流れるように繰り出される考察、身近な話から始まって歴史的事実を絡め、過去の優れた哲学者の言葉を借りながら積み上げていくやり方は「ソフィーの世界」を思わせるが物語仕立てではない。大学で学生相手に行った講義をもとにしているという。一気読みではないにしろ、中断しても入りやすく最後まで飽きなかった。

 特に印象深かったダニの話:

 ダニはある特定の条件(酪酸の匂い・37度の温度・体毛の少ない皮膚組織)が揃えば吸血する。吸血したら子孫を生み死ぬ。つまりこの三つのシグナルを受け取らない限り吸血できないし子孫も残せない=何も起こらないので、18年絶食したままのダニが生きたまま研究室で保存されていた例もあるとのこと。事程左様に時間は生き物によりけりの相対的なものである。

 実は私自身「暇と退屈」に「苦しんだ」経験は殆どないんだが、あくまで思考するためのテーマと心得て読めば十分理解もできるし楽しめる。著者曰く

「自分自身の悩みを考察の対象にし、今の段階でまとめてみたのが本書である。読む人に『君はどう思う?』と聞いてみるために書いた」

 ということなので何も問題ないだろう。ノウハウ本でも自己啓発本でもない、書かれていることに沿って、自分一人では得られない・思いつかない思考を「体験」する本である。

 あとがきで著者は学生たちとの交流を語り、感謝を述べつつこう結んでいる。

「本書が(人に訴えかける力を持っている)研究や芸術作品や哲学との出会いの一助になることを願っている」

 退屈は楽しむことで解消する、何かを楽しむにはベースとなる知識や鍛錬が必須であるという考えには全面的に同意できるし、倫理学として相応しい締めとも思った。

 ここまでなら褒めちぎって終わっていただろう。ここで全部終わりだったなら。

 ところが、である。

 「増補版」として後から追加された部分がぶち壊してしまった。

 考えることそれ自体が実践であるとみなし、結論だけを取り上げて批評することの無意味をご自分で語っていたのに、どうして最後の最後に「社会に役立つ何か(根拠不明)」を雑に書いてしまったのか。この本を書いた数年後に何かが起こり「決断」されて、そちらに突っ走ってしまわれたんだろうか。

 一冊の本でここまで落差のある感情を抱くことはなかなかないので、私にとっては稀有で貴重な読書体験だったともいえる。ただ、この先この方が書いた本を手に取る気になるかどうかは正直わからない。記事は検索してみましたけどね。

 一言だけいいたい。国葬儀について批判するなら、その原因になった卑劣なテロについて、人文学者としてもっと語るべきことはなかったか。

 34頁あたりでアレンカ・ジュパンチッチという哲学者の述べたことを紹介されておられるが、テロリストを礼賛する向きはまさにこの話に出てくる「暇と退屈に悩まされている人間たち」では?

(引用始まり)

 ……たとえば、大義のために死ぬことを望む過激派や狂信者たち。人々は彼らを恐ろしくもうらやましいと思うようになっている。

 自分はいてもいなくてもいいものとしか思えない。何かに打ち込みたい。自分の命を賭けてまでも達成したいと思える重大な使命に身を投じたい。なのに、そんな使命はどこにも見あたらない。だから、大義のためなら、命をささげることすら惜しまない者たちがうらやましい。

 だれもそのことを認めはしない。しかし心の底でそのような気持ちに気づいている。

 ……(こんなふうにうらやましいと思うのは)暇と退屈に悩まされている人間だということである。食べることに必死の人間は、大義に身を捧げる人間に憧れたりしない。

(引用終わり)

 別の章で

「不幸に憧れてはならない、不幸への憧れを作り出す幸福論は間違っている」

とも仰っておられる。

 現在のウクライナ国民には「侵略者から国を守る」という大義がある。そのために文字通り命を賭けて戦っている。この覚悟に対し、私自身一種の憧れに近い気持ちはある。私は「食べることに必死の人間」でもなく「暇と退屈に悩まされている人間」でもない。これは「不幸に憧れている」のだろうか?

 

 この本を途中まで読んだところで、私は「人文にも出来ることがあるじゃないか」と嬉しくなった。こうして思索していく過程が心を豊かにして、新しい知識や芸術や文化への道を照らしてくれるのだと。いろんなものを生み出す力になり得ると。

 それだけに残念で仕方がない。もう自分の手から旅立った子供だと仰るこの本の精神に今いちど立ち返って、決断の奴隷から解き放たれますよう、切に祈る。


 それにしても帯の宣伝文句は何だったんだろう。少なくとも私にとっては全く泣く要素はなかった。最初の版の売り出し文句はどんなだったんだろうね。

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