まだまだ積読山とあります。
これは新聞の日曜版だったかな、この本と著者の方の紹介が載っていてそれで知った。「硫黄島ではかつてコカを栽培しており、インドの闇市場やナチスドイツにも送られていた」という一文に、ん?と引っかかったので、読んでみた。
歴史学・社会歴史学・島嶼社会論がご専門と言う著者、冒頭の小笠原群島や硫黄列島の成り立ちについての解説が非常に面白かった。(なお全部ひっくるめた「小笠原諸島」というのは行政上の呼称で、実際には距離も離れており、歴史的にも相当異なっているため、本書内では両者を厳密に区別する、ということだった)
面白かった、んだけど、何だろう?読むきっかけになった「引っかかり」が、至る所でまた……膨大な資料と元住民の聞き取りから書き上げた内容はたしかに素晴らしいのだけど、あまりにも「大日本帝国」「日本政府」に対する著者自身の「思い」が激しすぎる気がした。
というわけで以下、ネタバレまくりのメモ書き注意。※は私見。レビューなんてものではなく、単なる私のツッコミ集と化してます。すみません。
<硫黄列島>
1543年、スペインの探検船が初めて発見。
1779年、英国ジェームズ・クック船長率いる第三時太平洋航海の船団が通過、ノース・アイランド、サルファー・アイランド、サウス・アイランドと命名(ただしこの時点でクックは亡くなっていた)。
なお北硫黄島は紀元前一世紀から紀元一世紀ごろまで定住民がいた痕跡あり。何らかの理由でいなくなってからは十九世紀末まで二千年の間無人島だった。
1891年、勅令により硫黄列島の領有宣言。
<小笠原群島>
1670年、阿波国の蜜柑船が暴風で母島に漂着。
1675年、江戸幕府が現地調査を実施。
1720年代、「(小笠原付近の三つの島を発見したとされる)小笠原貞頼の曽孫をなのる小笠原貞任」より幕府に、渡航と開拓の申し出。一度は受けたものの、後に名前も身分も虚偽と発覚、重処分された。(小笠原貞頼による「発見」も根拠が薄く、現在ではほぼ否定されている)
1862年、「欧米諸国に対して領有権を主張するため」に「小笠原」の名前を採用。
※信ぴょう性はどうあれ、名付けた呼称が一般化してたんだろね。「お話」の方が広がりやすいというのは興味深い。
1875年、明治政府が官吏団を派遣、住民に対し日本国家の法を宣言、服従を求めるとともに外国からの移住を禁じた。
1876年、欧米諸国に対し小笠原領有を通告。
※当時の小笠原群島はいろんなところからいろんな人が来ていて、海賊の略奪なんかもあったという。しかも英米どちらも領有を検討したことあり。グローバリゼーションというと聞こえがいいが、要は無国籍・無法地帯。欧米列強がバリバリ帝国主義の時代、他国に乗っ取られないうちにサッサと領有を宣言すべきとなったのは理解できる。
正式に日本領土となり、民間の商売人たちも当時の国策に続々乗る。大きく分けて、南洋に向けての交易路開拓と商業資本の覇権獲得・島々の天然資源を世界市場に売り出すこと、の二つ。後者の例としては19世紀末の鳥島でのアホウドリ乱獲・グアノ採収(鳥のフンが化石化したもの:農業肥料の原料となる)があり、欧州での羽毛の需要が大きかったこともあって大儲けした。
「本土の過剰人口を島々に送り出し、島々の天然資源を掠奪的に利用するという無責任な発想のもとにはじまった」
※無責任な発想……かな?今の基準でいえばそうかもしれないけど、日本の領土にはなったからあとは自由にやれや!という、一発当てたい向きには有り難い状況だったのでは。アホウドリの件にしても今なら固有種保護の観点から批判もされようが、その当時では誰のものでもない、自然の中にいる鳥をいくら獲ったところでお咎めなしだろう。『掠奪』と言う言葉は「暴力で民の物品をかすめ取ること」という意味だからそぐわない気もする。北海道のニシン御殿みたいなものでは?日本中が、ひいては世界中がそういう時代だったというだけだと思う。
当時の日本には「予約開墾」という制度があった。特定の事業を目的に官有地の開墾を申請した場合、事業者は当該地を無償で借り受けることができ、事業成功の際にはあらかじめ官庁側との間で取り結んだ契約に基づき、当該地の払い下げを受けられる。これにより各地で開墾が進む。
1910年、硫黄島にてサトウキビ栽培と製糖開始。(北硫黄島では1902年から)
1920年代、糖価大暴落により小笠原、硫黄列島での農業生産は多角化に向かう。温暖気候を利用したカボチャやトマト、トウガンなどの野菜を作り京浜市場へと出荷。これが当たって1930年代には経済繁栄。
硫黄島での主な生産物は
・コカ コカインの原料で、ジャワ島から原木を輸入して育てた。医療用麻酔や軍需用麻薬として使用。本土の製薬会社へ出荷
・レモングラス 香水の原料
・デリス 農業用殺虫剤の原料
コカは1916年台湾にて栽培開始、1920年代には沖縄でも。糖価暴落に打撃を受けたモノカルチャー(単一生産)の島々がこぞって生産に参入した。出荷先は、
三共、星製薬、江東製薬、武田長兵衛商店(武田薬品工業の前身)、塩野義
で、コカインに精製され各国へ。インドの闇市場やナチスドイツにも密輸された。軍艦を使ったこともあり。
※???製薬会社が取引して普通に輸出したんじゃないの???この当時は合法薬物でドイツは同盟国だったし「闇市場」「密輸」という言葉の唐突感が否めない。軍需用としての輸送?だとしたらそもそも機密扱い、敵国に狙われる危険があったから戦艦に乗せた、ということであれば何らおかしい話でもない。なんにし確たるソースがほしかったところ。
「日本帝国のなかの治外法権地帯」「拓殖会社が警察から何から全てを掌握」「拓殖会社からの厳しい搾取」
硫黄島の人たちは基本的な衣食住には困らなかった。会社での労働とは別に採集、農業、畜産、漁業を組み合わせた自律的な生産活動によって自給用の食料を獲得できていた。子供達も労働力として釣りや採集などにいそしんだ。
「島では贅沢しましたよ。最高に贅沢しましたね。肉も不自由したことありません。食料にも不自由したことないです」
暮らしはいいところだった、豚には甘い野菜を与えていたせいか肉が甘かった、本土で食べた豚肉が味がしなくてビックリした―――陸軍が入る(1944)までは良い島だった。
「拓殖会社に流通過程を掌握され搾取の対象となりつつも、それぞれ自律したエコノミーを培いながら生きぬいていた」
※厳しい搾取といいながらも住民の言葉とえらく齟齬がある。戦争の雲行きが悪くなるまでは「良い島」と言われてて、会社は曲がりなりにも島のインフラ整えて、学校や病院も揃えて、安定した雇用も提供してたみたいだけど。
1944年、戦況悪化による住民の強制疎開始まる。(15~49の健康な男子の一部は徴用をうけ残留)長年作り上げてきた生活・生産の基盤を国家によって根こそぎに。
※↑そもそも国策によって造り上げた基盤であって、それが戦争によって状況が変わってしまったってことですよね。国家総動員法下だから徴用も致し方ない。気の毒なことではあるけれど。
ここで「偽徴用」問題が起こる。硫黄島産業会社が、22名の島民を徴用令状なし・身体検査なしでコカの作業に従事させた。16人はそのまま島に取り残され、陸軍に正式徴用となり、うち11人が死亡。
一方、北硫黄島では全員が疎開。日本軍部隊が駐留していなかったからであろう。
※えーとこれ会社のせいですよね?北硫黄島では元よりコカ栽培をしていないから、残留させて作業なんてあるわけがない。何にしろ軍のせいじゃ全然ない。逃がそうにもタイミング的に無理だった。そうさせたのは会社。
1944年、都下の離島から強制疎開させられた島民に対し、元の居住地に戻るまでの全期間公的扶助を行う枠組みがあった。ところが小笠原支庁長Nが独断でこの扶助を断った。
※理由は何だったんだろう?断ったという記録だけがある?もうきっと帰れないから別の枠組みでってことではないんだろうか。意図がわからない以上何とも言えない。
日本は国体護持を含め、少しでも有利な条件での講話に持ち込む目的でずるずると降伏を引き延ばし続けた。住民は疎開による故郷追放か・軍務への動員か・地上戦の道連れか、いずれかの途を強いていた。
※ずるずるとっていうのは語弊があるかな。戦争は止める方が難しい。降伏するにしても、それで犠牲が少しで済むかどうかはこの時点ではわからない。それと戦時中なので、多数の国民がその三つのどれかに当て嵌まったと思う。
C・イーストウッドの映画について
「父親たちの星条旗」(2006)回想が入り乱れて誰かのフラッシュバックを見せられているような感じ。日本人将兵は総じて「見えない敵」として描かれている。住民や社会の姿はない。
※そりゃまあ米軍兵士の視点ですし、米国内の様相が主ですし。入れなくて当然でしょう。
「硫黄島からの手紙」硫黄島での人の暮らしが一瞬でも描かれたことは画期的。だが主人公が栗林中将であることから、戦場経験や戦場死の美化・英雄化から距離を取ることには失敗している。そこでの中将は「合理的」「英雄的」な戦術家として描かれる。硫黄島の住民を本土に「戻す」という言い方をさせ、徴用された残留民のことは一顧だにされることがない。
※えーと違う映画みたかな……中将の思惑と一般兵士のそれとの違いははっきり描いていたし、中将を殊更英雄視もしていないように思う。むしろ一人の人間として自然に描いてた感。まして戦場の美化なんか全然と思ったけど。そして主人公は栗林中将だけではなく一兵卒である西郷もである。たしか、映画で一番印象に残った人物は?って聞かれたアメリカ人の多くは渡辺謙じゃなく二宮くんを指したんだよね。そういう作り。
「戻す」って言い方が気になったのはわかるけど、さすがに難しいんじゃないかな。半世紀以上住んでるとはいえ開拓民の島であることは中将クラスなら当然知ってただろうし、そういう言い方しても別に不自然じゃない。そもそも映画のテーマそこじゃないし。映画と何の関係もない高村光太郎の詩と、それに対する「プロパガンダに掉さす典型的な作品」という「現代人の」批評を並べるのもちょっとどうかと思う。
戦後、硫黄島は朝鮮戦争(1950~)の基地として使用。
サンフランシスコ条約によって南西諸島、南方諸島を米国に貸し出し、冷戦の軍事的前線をこれらの島々に「押しつけた」。強制疎開で各地に移り住んだ硫黄島民・小笠原群島民は難民状態にあった。
※以下、新聞記事にも一部載っていた著者の所感:
「疎開前の暮らしを『美化』しているのではないかと感じることがあった。……戦後の生活経験が、長い故郷喪失のなかでの苦闘であった事実をふまえるとき、彼らの語りを単なる過去の「美化」として片づけることは決してできないのである」
※これ、何だか不思議な文章なのだ。美化していると疑った→美化として片づけることはできない、つまり本当に言葉通りの真実豊かな生活だった、と解釈した?ならば普通に、美化していると思ったがそうではなく本当に豊かだったのだと実感させられた、でいいのに、何でわざわざこんなややこしい文章にしたんだろう?
私見だが、著者本人は国策で開拓者となった人々を「搾取される民」として考えていたんじゃなかろうか。実際に会社相手の争議はいくつかあったようだが、概ね島民は「搾取」などとは程遠い良い生活をしていた、という事実を認めざるを得ず混乱したのではないか。
1951年、遺骨収集のため和智恒蔵が渡航。
1952年、収集作業
1953年、硫黄島協会設立。
1967年、小笠原群島、硫黄列島など南方諸島の施政権返還。
1968年、小笠原返還。
1970年、小笠原諸島の復興計画(硫黄列島は除外)
1984年5月、硫黄列島の火山活動調査の結果報告。
広範囲が危険立入禁止区域、主要農産物だったコカは現法では禁止、レモングラスやデリスは代替物が多くあり市場価値はなく、帰島者の生業として安定しない、とされる。
旧島民大会にて、島内の墓地整備・公営の宿泊所建設・見舞金・米軍の上陸訓練への遺憾の表明・父島、母島への移住実現のため航空路開設促進など日本政府・東京都・小笠原村への要望とした。「希望を以て現住地に定着できるよう」配慮と措置を、とも。
この年航空自衛隊硫黄島基地隊、設置。
1986年、訓練空域新設。
※戦争末期に戦場となり、それまでの生活のすべてを捨てねばならなかったこと、犠牲者も多く出たこと、また長く米軍の管理下にあって遺骨の埋まる飛行場の上で訓練を繰り返されたこと、帰ることはおろか墓参すらできない期間が長かったこと、今も3泊以上(船中で2泊なので現地では一泊)は出来ないなど、知らなかったことも多くあり、同情に堪えない。国策に翻弄されたといえばその通りなのだろう。ただ、どこからか硫黄島に移って来た時も「希望を以て」のことだろうし、疎開して以降も「希望を以て」定着できるようにと願っていた人々である。要求事項をみても非常に冷静で、一種の矜持めいたものを感じる。著者の方が少し過剰な思い入れがありすぎる気もする。
「火山現象や就業機会の困難を理由に島民の帰還を拒んでいるが、自衛隊が駐留しているのに」「強制疎開までは半世紀自給自足で生活が成り立っていた」「北硫黄島に関しては火山現象はほとんどみられない」「インフラ整備を拒み島民の帰還を阻んできたことは政府の不作為の作為であると断ぜざるをえない」
「せめて北硫黄島には最低限のインフラを整備し、希望する硫黄列島民が1年の内数か月間でも生活できるようにすべき」「小笠原村が宿泊もできる平和祈念館を整備したことは評価できる。だが一泊しかできない。政府は責任を以て防衛省・自衛隊を説得すべきである」
「日本政府は島民一世が全員この世を去るのを待っているかのような『不作為の作為』を反省し、硫黄列島民に対する歴史的責任を果たす必要がある」「読者は、~ 硫黄列島の島民をめぐる問題が、国内で未解決の最大級の戦後補償問題であることには、同意されるにちがいないと考える」
※火山現象はともかくとして「就業機会がない」のは帰還できない理由として十分すぎるほど大きい。疎開前に自給自足も含めて生活が成り立っていたのはひとえに、雇用機会と生活全般を丸抱えしてくれる殖産企業の存在があったからだ。公務員である自衛隊員、大手建設会社などの社員、米軍など大きな組織に属する人々が業務としてそこで暮らせるからといって、では一般民も住めるかといったらそうはいかないだろう。年に数回、定住するわけでもない人々を迎え入れるためには一体どのような整備が必要なのだろうか。一泊二泊ならともかくもある程度長期ならば、それによって必要な施設も設備も増える。普段は誰が維持管理を?物品の流通は?いずれ定住を視野に入れて勧めるにしても、小笠原よりさらに離れた離島での仕事と暮らし……私にはイメージできない。国か自治体がやるにせよ民間にせよ、どの程度コストがかかるのか、それに見合う効果(必ずしも経済的効果だけではなく)が得られるのか、はなはだ疑問ではある。
通読したものの、私は「国内で未解決の」までは同意するが、「最大級の」とはまったく思わない。国外に出て戦争で全てを失い、辛酸を舐めた日本国民は他にも多数いる。だから我慢せよとは言わない、全ての人が必要な補償を受け心穏やかに暮らせるよう努力するのが国の勤めとは思うが、限られたリソースの中、十分とはいえないまでも日本政府はこれまで出来るだけのことはやってきたように見える。
失った人命が帰って来ることはないし、失った生活を元通りに戻すことも出来ないから、島で実際に暮らしていた方々が、どうにも諦めきれない・割り切れない気持ちを抱え続けるのも人として当然だと思う。しかし彼らは「国策に翻弄された可哀想な人たち」ではない。自分の意思で島に渡り生活を立ち上げ、戦中戦後の大変な時期を生き延びて来た強い人々だ。その人々へ敬意を払うためにも、子々孫々までその誇りを伝えるためにも、あまりに国のせい・国の犠牲になった、という主語の大きい一方的な物言いは控えたほうがいいのではないかと思う。
ともあれ今後も出来ることとしては「硫黄列島の歴史を埋もれさせない」「忘れさせない」ことであると思うので、遺骨や遺品の収集を含め、旧島民関係者以外の一般人も一定数訪れることができるレベルまで環境を整えられれば良いのかもしれない。今のコロナ禍と世界情勢ではなかなか難しいかもしれないが。
以上。
なお私が読んだことのある硫黄島本は「17歳の硫黄島」秋草鶴次、「散るぞ悲しき」梯久美子、「名をこそ惜しめ」津本陽、「硫黄島 太平洋戦争死闘記」リチャード・F・ニューカム。映画は二つとも映画館で観た。
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