積読が一気に溜まっちゃったんですけど!何で更にポチっとなしちゃうかな私!
さあ読書の秋です。例によって何でこの二冊?というラインナップ。
呉座さん曰く、日本中世史の社会史ブームに非常に大きな役割を果たした四人の中の一人。(あとの三人は、網野善彦・石井進・笠松宏至)呉座さんは自身の著書「一揆の原理」の中で勝俣さんの一揆論を批判している。これはもう読むしかないではないか。
で、実際読んでみたわけですが、非常にこれが面白かった。発想が歴史学というより民俗学寄り?な感じは網野さんぽいのだが、おそらく創作やる人にとっては物凄くくすぐられるところがある。一味同心という連帯の心性、一味神水という殆ど呪術っぽい秘密の手続き、服装や髪形、服の色などで身分や職能などを細かく規定していたことから、あえて普段の自分達とは違う「無縁の世界の人」=アウトローの色や服装を選んで「一揆」を組み活動した、などなど。
ただやはり、網野さんの本同様(といっても大して読んでないけど)「いやそれそんなに言い切れるか?」「そういう側面もあったかもしれないけど全部が全部そうじゃないのでは?」という気持ちになる箇所は、私のようなニワカのド素人にも少しはある。特に後半の「世直し一揆」のくだりでは、目的が「世の破壊と世の再生」、窮民を救うのみならず、世界平均・平等の世を目指すという、あれれ何だか急にきな臭くなったぞ???ごくごく身近な問題を解決する手段じゃなかったの?後付けの「思想」入ってない?
時代の趨勢や流行した創作物等が歴史観に色濃く影響する、という呉座さんの著書を読んだところなので(「戦国武将、虚像と実像」)なおさら、うーんこれはと思った。
二冊を読んでみて、はて現代に一揆なるものは必要なのかと考えてみると、よくわからない、というのが正直なところだ。「縁」が強固に人と人とを結び付けていた時代だからこそ、農民や村民といった括りの中での「無縁」の繋がりを作ることができた。現代のように多様化して色々薄まった中で、あえて「無縁」を作る意味はなんだろう。「匿名の、誰ともわからぬ集まり」はネット上には山とあるけれど、その集まりを洗練させ、コントロールしつつ維持していくのって物凄く大変なことだと思う。レベルがまるきり合ってないと無理だろうし。限定的であっても、瞬間的にでもそういう集まりが出来たとして、そこから生まれるものって?
目的を達成するための破壊(ただ破壊するだけが目的の場合もある)や略奪などの狼藉は一般民には嫌われただろう。ネット上でも的外れな言い分や単なる罵詈雑言は非難の対象だ。
結局、使う手段やツールが違うというだけで、人間はずっと同じことを繰り返しているのでは……と今回も思ってしまった。
「イスラーム国の衝撃」池内恵(2015)
で、此方です。ツイッターで日々お世話になっている池内先生の、これも昔の本。ご専門について何一つわかってないのでとりあえずここから行こう、と読んでみました。
そうしたら、なんとなんと上でみた「一揆」とやたら共通するではないか!拠って立つものは全然違うにしても、形としては似ている……どこで生まれようがどう育とうが、人間と言うものは変わり映えしないということなのか?それにしても「あるカテゴリの中で通じる確固とした理念」て怖いな。「一揆」もかなり危ないところまで行ってたのではないか、実は。
私の浅い知識と考えからの印象というだけだがそれにしても。
以下、メモ書きからざっくり(本当にざっくりなんで間違ってたらすみません):
元は「アル・カーイダ」から分かれて(この辺り非常に複雑多岐にわたる経緯あり)再編したという「イスラーム国」、その特徴は「組織なき組織」、分散型かつ非集権的なネットワークにより緩く繋がる。よって諸組織と直に関係のない、身内同士での「ローンウルフ型テロ」が起こりやすくなった。事前察知は困難であり、事後に関連を辿って背後の首謀者や教唆犯を摘発するのも難しい。
土着の強力な武力集団であり、各国から戦士を集めるグローバル・ジハード集団でもある。宗教的規範に照らした共同主観として、
1)移住者(ムハージルーン=ヒジュラをする人)
2)支援者(アンサール)=ヒジュラを行うための総てに対し支援する
があり、基本的には「自発的」な集まりである。
このヒジュラ(移住)という概念は、単に移り住むという意味ではない。
「政治権力を掌握し、軍事力で異教徒を制圧、広大な領域を支配して統治する側に立つ」
その目的を達成するためのジハードであると。
「イスラーム国」の思想に実は目新しさはない。ただメディア戦略に長けており、敵と味方それぞれに、心理的に最大限の効果を与える技巧と工夫がすごい。例えば捕虜の死刑執行動画。捕虜にオレンジの服を着せる意味は、かつてアメリカがやらかしたグアンタナモ収容所での囚人服の色がオレンジだったから。反米武装勢力の「様式」と化しているという。映像そのものもかなりの時間と手間をかけて作っている。処刑した瞬間はあえて映さず、観る者に想像させ拡散を狙うテクニック(事実一気に広まった)などは、そういった演劇的なスキルを持つ人間の関与を窺わせる。執行者にあえて自国の兵ではない、外国人を使うのも宣伝価値があると見做されているから(全体からすると数は多くはない)。
インターネットによって瞬時に繋がる世界、グローバルジハードを完全に取り締まることは困難である。こういったジハード戦士が自国に戻って来て「ローンウルフ型テロ」を起こす可能性はあるし、社会不安を引き起こす一因にはなるが、軍事的な意味での脅威はない。それよりも、
過剰反応により少数派や移民への迫害や人権剥奪が疑われることのほうが、西欧社会が構築して来た近代的価値への損害となる。
これこそが「テロリストの目的」。
日本国内でも「イスラーム」を理想化し、「アメリカ中心のグローバリズム」への正当な対抗勢力・「西洋近代の限界」を超克するための代替肢・これで現代社会の諸問題を一挙解決!のような言論人がいるが問題。
無自覚に現存秩序の否定を唱導する知識人の、誤解に基づいた「ラディカル」な言説に煽られて、日本社会の片隅で不満や破壊衝動を持て余した者たちが過激派に一方的な思い入れを託して暴発する事態が、運悪く生じて来ることもありうる。
「イスラーム国」への対処は、日本の自由主義体制と市民社会の成熟度を問う試金石となるだろう。
↑あの……これまさにアレじゃ。「イスラーム国」を何かに入れかえても、まんま通用する。えーとこの本、結構色んな人が書評書いてらして、掲載してるの大新聞ばっかりなんだけど、もしかしてマスコミさんって全然読んでないの?今からでも読んだらいいんじゃないの?これもまた予言の書だよ……もっと早く読んでおけばよかった。他の本も積読あるので読みます、はい。
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