「犬王」
何となくサッサと終わってしまいそうな予感がしたので、急遽観に行った!案の定、もう昼間は一回だけ、あとはレイトショーになっておる。もう一回観たいけど観られるかなあ。
良かった。すごく良かった。絵も動きも音もセリフや歌も、すべてに細部まで拘りが満ちていて、最後までテンションがまったく落ちない。ほんの数秒、一瞬しか見えない景色の隅々までおそろしいほどに描きこまれている。昔のハリウッド映画が湯水のようにお金をかけ各ジャンルのアーティストや職人を駆使して作り上げた「その時代の風景」を、アニメーションでやってのけた。日本のアニメはここまで来たか、日本映画の要となるのはやはりアニメしかないんじゃないか、そこまで思った。これまでになく強く。関わった皆さまに適正な報酬が行き渡っていますように。
これはもう絶 対 に!映画館で観ることをお勧めする。映像だけじゃない、音の使い方も素晴らしく凝っているのだ。平日の真昼間という好条件だったせいもあるとは思うが、とにかく音のメリハリが凄かった。客層もたぶん私史上まれにみる良さだったのか、数秒間まったくの無音になったことが何度かあってちょっと驚いた。皆が皆息を呑み、動くことを忘れる、そういう境地を共通体験したのだ。エンディングの静けさも他の映画より長めだったかもしれない。私自身も暫く立てなかった。
!!!ここからはネタバレ!!!
この映画を観て、おそらく手塚治虫をある程度読んでいる人ならば必ずや連想するであろう作品が「火の鳥」と「どろろ」。後でパンフを見てみたらビンゴだった。私はちょっと大友克洋みも感じたが、映画「幻魔大戦」で出て来た踊り子からかもしれない(懐かしいな、もう一度観てみたい)
二人の非凡な芸能者、ともに平家の呪いを身に受けている。亡者の物語を形にするべく琵琶を弾き歌い、踊り跳ねる。同じようでいてまったくちがう二人のスタンス。犬王は「物語」を表現するたびに呪いを解き、振り捨てていく。友魚は演じた「物語」に惹きつけられ、次々と取り込んでいく。一度限りのパフォーマンスと割り切って前に進む犬王はアッサリと権力に従う。一方物語と完全に一体化した友魚はそうはいかない。自分を捨てることに他ならないからだ。かくして物語もろとも死に至る。この二人の対比が素晴らしくいい。現実がどうだったかというのではなく、「物語」で結びついた二人は、すんなりと時空を超えて再び出逢う。心に沁みるラストシーンでございました。
それにしても
世の中に溢れる「呪」を拾い集め、物語として人に語り、伝播させて供養とする。
これは一体、日本だけの振舞いなんだろうか?万国共通、人類が深いところで繋がり得る可能性のひとつなんじゃないだろうか。この映画を観る前にふと一気読みした「知と愛」にも全く同じようなことが書いてあった。創作者が到達する境地はジャンルを問わず時代を問わず、同じ場所なのかもしれない。
「いいぞ、いくらでも来い!俺が全員の話を語ってやる!」
うろ覚えだけど犬王のセリフ、かなり響きました。私も頑張ります。
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