匂兵部卿 二
こんにちは、典の局でございます。
宇治十帖―――いささか緊張いたしておりますが、今までの物語の続きであることはたしかです。私も、所属フリーのいち女房として初心に帰り、気楽な立場で存分に語らせていただこうと思います。え?今までも十分勝手気ままに言いたい放題だった?おほほ。そうでしたかしら。
こんな調子であと少し、お耳(目?)を拝借いたしますことをお許しください。今後とも「ひかるのきみ」をよろしくお願いいたします。
さて、まずは先の帝であらせられる冷泉院さま。藤壺女院さまと桐壺帝……ではなく……(小声)ヒカルさまとのお子さまですね。齢四十三、后の宮さま(秋好中宮)とともに今も仲睦まじく御所にお住まいです。このお二人が薫さまを強力にバックアップしてらっしゃいます。
ヒカルさまがご生前、二品の宮さま(女三の宮)腹というやんごとなきご身分に相応しいご後見役として直々にお願いしておられたようです。お二人にとっても、さぞかし張り合いのある嬉しいご依頼だったことでしょう。
薫さまの元服は冷泉院御所で行われました。十四歳になられた年の二月に侍従、その秋には右近中将に任ぜられ、さらに恩賜の加階まで与えられたというスピード昇進。なぜそこまで急がれるのか……と世間が訝しむほどの異例の出世にございました。やはりそこにはヒカルさまへの思いがあるのでしょう――決して口には出せない、息子としての孝養を尽くしたいというお気持ちが。
御所での薫さまのお部屋は、院の御殿に程近い対屋に設えられ、若い女房や童、下仕えに至るまで、院自ら優れた人材を選り抜かれました。男子は女子に比べお世話がぞんざいになりがちなのが平安貴族の常ですが、薫さまは明らかに別格のお扱い。何しろ冷泉院さまと后宮さまどちらも、お付きの女房たちの中でこれと見込んだ者がいれば、残らず薫さまの部屋へと移してしまわれるのです。薫さまがすこしでも居心地よく住みやすいと思えるようにと、常にお心を砕いておられました。
初めも終わりも知らない我が身が」
思わず独り言に詠まれました。応える者はおりません。何かにつけ後ろめたい心地が消えず、落ち着かず、考え事ばかりの毎日にございました。
(母宮も、お若い盛りのお姿を尼にやつすなんて、ただ事ではないよね。正直言ってさほど深い道心をお持ちとも思えないのに……きっとよほど不本意な過ちがあって、心が耐え切れなかったんだろう。多分、世間にも漏れ聞こえてる。まったく誰一人知らないとは思えない。後ろ暗い事情だからこそ私には誰も知らせてくれないんだろうな)
(明け暮れ勤行なさっているようだけど、ただポヤヤーンと、漫然と日課をこなしてる感じだよね……いわゆる女子の悟り的な。『蓮の露』、つまり偽りであることは明らかだし、玉と磨きあげることも難しい。五戒とやらも本当に守れているものかどうか……この私が母宮に成り代わり、後世でお志を叶えて差し上げるしかないのかもしれない)
※蓮葉の濁りに染まぬ心もてなにかは露を玉と欺く(古今集夏-一六五 僧正遍昭)
(亡くなられたという私の実の父親も、迷いが解けないまま彷徨っているのでは……?)
そう思うと、生まれ変わってでも会ってみたいという気持ちがおさまりません。元服すら気の進まなかった薫さまですが拒否出来るわけもなく、世にもてはやされて身辺は目が眩むほど華やかです。そんなご自分に違和感しかない、もの静かな若者でいらっしゃいました。
内裏の辺りでも薫さまのお覚えはめでたいものでした。母宮のごきょうだいで伯父に当たる今上帝はもちろん、后の宮(明石中宮)さまにとりましても、同じ六条院にて生まれ育った宮さまがたと同等の存在でした。
「こんな晩年に生まれてきて可哀想な子だ。大人になるまで見届けられない」
と故ヒカル院が仰っておられたのを忘れず、並々ならぬお心をかけていらっしゃいます。
右大臣の夕霧さまにしてみれば亡き親友の忘れ形見――こちらも決して言えないことですが――表向きは年の離れた弟君として、ともすれば我が子以上に丁重に扱っておられました。
その昔、光る君と呼ばれたヒカルさま。
父帝にこの上なく愛されて嫉みそねむ者も多い中、母方のご後見なき生い立ちにも関わらずその人となりは深く、世を拗ねることもなく穏やかに、並ぶものなきご威光を目立たぬよう抑えていらっしゃいました。世の騒乱の火種ともなりかねなかった事件もどうにかやり過ごされ、後世の仏道修行もそつなくこなされました。万事につき遠い先を見て、慌てず騒がず冷静に動かれる御方にございました。
薫さまはお年若なうちから世間にもてはやされ過ぎて、いささか自意識が高すぎるきらいはございます。
ですが、実際のところ薫さまには、此の世の人ならぬ何かが宿っているのではないかと思わせるところがありました。顔形がどうとか、そんな表面的なことではございません。誰もが心惹かれずにはおられない気高さ、底知れぬ奥深さ――そのお歳には到底似つかわしくないものを内に抱えていらっしゃいました。
そして何より他人とは圧倒的に異なる特徴がございました。
「匂い」です。
薫さまがすこし身じろぎされるだけで、得も言われぬ薫りが辺り一面に広がる――百歩の外も薫るという触れ込みの香がございますが、まさにそれです――歩かれた跡を追っていけるほどに。
誰であれ、あれほどのお家柄の、重々しいご身分のお方が身なりを構わなかったりありきたりな格好をなさるはずもありません。我こそは人より勝る者とそれぞれに身づくろいをし飾り立てるのが普通ですが、薫さまは―――目立たぬようにと隠れていらしても、すぐそれとわかってしまいます。この上さらに香を焚き染める必要もありませんでした。数多の唐櫃にしまわれた香の数々は薫さまのそれと相まった香りをまとう。庭の花の木も、ふと袖に触れた梅が春雨の雫に濡れ、身に沁みる匂いをはなつ。秋の野に咲く藤袴ももとの薫りは薄れ、気まぐれに折り取った枝から芳香が立ち昇る。といった具合です。
※主知らぬ香こそ匂へれ秋の野に誰が脱ぎかけし藤袴ぞも(古今集秋上-二四一 素性法師)
薫さまのこの不思議なご体質に、誰より競争心を抱かれていらしたのが兵部卿宮さま――かつての三の宮さま――にございます。特に優れた香ばかりを身にまとわれ、朝夕香合わせに余念がございません。お庭の前栽では、春は梅の花園を眺められ、秋は誰もが愛でる女郎花や小牡鹿が妻とする萩の露には見向きもされず、老いを忘れるという菊や盛りを過ぎた藤袴、見栄えのない吾亦紅などおよそ香りの高い花はすべて、みにくく霜枯れする頃合いまでお見捨てになられません。殊更に香というものを愛する気持ちをかき立てていらしたのです。
※名にめでて折れるばかりぞ女郎花我落ちにきと人に語るな(古今集秋上-二二六 僧正遍昭)
※わが岡に小牡鹿来鳴く初萩の花妻問ひに来鳴く小牡鹿(万葉集八-一五四一 大伴旅人)
※皆人の老いを忘るといふ菊は百年をやる花にぞありける(古今六帖一-一九四 紀貫之)
世の人々は、こうしたご様子を風流に過ぎる、好きな方面ばかりに引かれておられると見ていました。ヒカルさまは総じて、何か一つだけに偏ったり、変に熱中しすぎたりなどということはなく、絶妙なバランス感覚をお持ちでしたから。まあ、それ故に一人の女の方に落ち着くことが無くて……ああ、これは私の感想です。お忘れください。
薫さまはこの宮さまと始終お会いしては、管弦の遊びでも張り合うように笛の音を吹き立てられます。お互いライバルとして認め合う間柄にございました。例によって世間は「匂う兵部卿、薫中将」と煩いほどに持て囃し、お年頃の娘を持つ高貴な方々は心をときめかせ、是非婿にという申し出が引きも切りません。
まさによりどりみどり状態ですが、匂宮さまは、興味を惹かれればそれぞれ接触をはかり、その方の人柄や有様をじっくり探られるのが常でした。現在のところこれと決めたお相手はいらっしゃらないようですが、冷泉院さまの姫宮――女一の宮さまには一目置かれておいでです。
「あれほどの高貴な女性をこそ妻にしてみたいものだ。親や係累からして間違いはなかろう」
母君の弘徽殿女御さまからして身分も重く人格も申し分ない方ですので、姫宮さまのお人柄もたいへん優れていらっしゃるとの評判も高うございます。匂宮さまは、お傍近くに親しく仕える女房に接近して、何かにつけ詳しくその人となりを伝え聞き、密かに思いを募らせておいでのようです。
薫中将さまは、世の中をすっかり味気ないものと悟り澄ました体で、
(なまじ誰かに執着して、世を捨てる邪魔になっては困る。恋とか何とか面倒くさそうだし……関わりたくない)
はじめから諦めの境地でした。さしあたり心を動かされるような相手もいないものですから、余計に賢しらぶっていらしたのでしょう。親の許さぬ相手などはまして思いも寄りませんでした。
十九になられた年、薫さまは三位の宰相に任ぜられました。中将との兼務です。帝や后宮さまのご厚遇により、臣下として押しも押されぬ声望でいらっしゃいましたが、心の底にそれ程の我が身ではないという思いがあり、素直に喜ぶ気持ちになれません。埒も無い恋愛ごとなどまして好まず、いつ何時も控えめに振る舞われ、物静かで老成した若者という専らの世評にございました。
匂宮さまがここ数年お心を寄せられる冷泉院の姫宮さまとは同じ院内にお住まいで、明け暮れご一緒なので、何となくその人となりや雰囲気は窺えます。
(実際、並じゃないよね。奥ゆかしく重々しいお扱いは途方もないものだ。同じ結婚するにもこれくらいハイレベルな方ならば、生涯満足して暮らせるのかも)
しかし他のことなら分け隔てない冷泉院さまも、こと姫宮さまに関しては別です。間違っても目に触れたり、声を聞いたりすることのないように、厳重に遠ざけていらっしゃいました。当然のことではありますし、薫さまご自身も下手に関わるべきことではないと、強いて近づくようなことはありませんでした。
(もし、思いもかけぬ不埒な気持ちが起こってしまったら、自分にも相手にもよろしくないだろう)
と分別をつけられ、キッチリと距離を置いていらっしゃいました。
そうはいっても薫さまはやはり若い平安男子にございます。自分がいかにモテるかというのは自覚しておられて、何の気なしの言葉を呟いただけの相手がいっぺんに引きつけられて靡いてしまうのをよいことに、軽いお遊びの通いどころは数多お持ちでした。ただ、どなたに対しても大仰なお扱いはせず、適当に誤魔化しつつ、薄情にならないギリギリの線を保っておられるので、かえって気が揉めることもあったようです。こうした「彼女」たちは誘われるがまま、母宮のお住まい・三条の宮へ続々と参集していきました。
つれない態度を見せつけられるのも苦痛だけれど、まったく関係が絶えてしまうよりはマシ……と当てのない繋がりにしがみつく。宮仕えなど思いもよらぬ身分の女たちはそんな儚い望みをかけるばかりでした。何しろ薫さまご本人が、あまりにも魅力的なオーラをお持ちの方ですので、一度でも会ってしまうと皆自分の心を騙すように、どうでもよくなってしまうのです。
そこら辺はヒカルさまに似ておいでですね……不思議なことですが。
「母宮がご存命の内は、朝夕に目を離すことなくお仕え申し上げることをせめてもの孝養に」
薫さまは常日頃、そのようなご発言をなさっておりました。何のことはない、縁談よけにございます。何しろ母宮さまは二品という高いご身分、そのお方を最優先に暮らすと仰られているのになお、ウチの娘を!などと声高に売り込めるはずもございません。夕霧右大臣さまほどのお方であっても同様です。大勢いらっしゃる娘のうち誰か一人だけでも、という心づもりがありながら中々口には出せません。
(薫だと叔父と姪、匂宮にしてもいとこ同士の結婚だし、あんまり面白味はないよね)
などとご自分を棚に上げたことを思いつつ、
(とはいえ、他に誰がいる?あの二人と肩を並べるほどの若者を探し出せる?)
考えたところで、無理なお話にございました。
夕霧さまと藤典侍さまの間に産まれた六の君という姫がおられるのですが、この方が実にお綺麗な方で、気立ても申し分ありません。ところが母君の身分が低いがため世間の評価は今一つにございました。さすがに勿体ないし不憫だと思われた夕霧さま、この君を一条宮――お子さまのいらっしゃらない落葉の宮さまの御養女として迎え取られました。
(あからさまな体ではなく、それとなくあの二人に気配だけでも窺わせたら、きっと心を留められるにちがいない。女を見る目は確かなはず)
という心づもりで、六の君さまはあまり重々しい扱いではなく、今風に華やかに風流めかし、人の心を引くような工夫を凝らしていらっしゃいました。
正月十八日に宮中の弓場殿(ゆばどの)にて行われる賭弓、その還饗(かえりあるじ)を六条院にて催すことになりました。親王がたのご出席も見込んで、入念なる準備を進めます。
当日、成人された親王がたは残らず賭弓に伺候されました。后腹の宮さまがたは揃いも揃って品格ある美しさでしたが、匂宮さまは特に抜きんでていらっしゃいます。四の親王さまで常陸宮と仰る更衣腹の方は、この中では心なしか随分と見劣りがするようでした。
この行事は例年、左方が勝つことになっておりますが、今年は特に一方的で、予定より早く終了いたしました。左大将も兼ねた夕霧右大臣さまが勝ち方として、匂兵部卿宮さま、常陸宮さま、后腹の五の宮さまを一つ車にお招きし六条院へと向かわせます。負けた右方にいらした薫さまはそのまま帰ろうとなさいましたが、
「親王がたがせっかくいらっしゃるのだから、お送りしないと」
夕霧さまが引き留められました。ご子息の右衛門督、権中納言、右大弁はじめその他の上達部大勢がお互い誘い合わせつつ、彼方此方の車に分かれて六条院へと出発です。
道中に雪がちらついて、まことに優艶な黄昏時にございました。笛などたくみに吹き立てながら院内に入りますと
「なんと素晴らしい。この折柄にぴたりと嵌るこの建物、風景――仏の国とてここまでの場所があろうか」
多くの車から溜息が漏れ出しました。
寝殿の南廂に、いつものように南向きに中将少将がずらりと揃い、対座した北側のお席には垣下の親王がた、上達部の皆さまが着座されました。盃が回され、盛り上がってくるにつれ、「求子」を舞って翻る袖が起こす風に、庭先に咲く満開の梅の香りがさっと広がります。例の、薫さまのそれと相まってより一層香り立ち、得も言われぬ優美さにございました。垣間見る女房達は色めき立ち、
「『闇はあやなし』という時間でも、あの方の薫りは誰にでもわかりますわね」
と囁き合っておりました。
夕霧右大臣も満足げに眺めておられます。薫さまの容姿も立ち居振る舞いも、いつも以上に落ち着いていらっしゃるのをご覧になって、
「そら、負け方の中将も歌わないと。お客人ぶってないで」
と促されました。薫さまはそつなく「神のます」など無難に歌われましたとか。
参考HP「源氏物語の世界」他
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