おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

幻 三

2021年7月21日  2022年6月9日 


 四月になった。衣更えの季節である。

 夏の町の花散里より、ヒカルの夏用の衣装が届いた。

 添えられた歌は、

「夏衣に着替えた今日だけは

昔の思い出から一歩踏み出せましょうか」

 ヒカルからの返しは、

「羽衣のように薄手の衣に変わる今日からは

空蝉のように儚い此の世がますます悲しい」

 月日は容赦なく流れていく。


 同じ月の中の酉、賀茂祭の日。

 現代でいうと五月十五日頃、初夏である。

 ヒカルは、

(今日は物見日和だな。みんな楽しく見物しているだろうか。賀茂の神社もあの頃と変わってないんだろうな。懐かしい)

 と思いつつブラブラしていた。

「せっかくの祭だから気晴らしに観ておいで。そーっと里下がりして、そこから直接行けばいいよ」

 女房達にそう言って勧めたので、今日の東の対は人少なである。

 東面の辺りを通りかかると、中将の君がうたた寝している。ヒカルの足音に気づいてハッとしたのか、小柄な身体を引き起こすさまが何とも美しい。寝起きの赤らんだ顔を恥ずかしがって隠すが、やや乱れた髪のかかり具合も良い感じだ。黄色味の入った紅の袴、萱草色の単衣、濃い目の鈍色の袿に黒い表着を無造作に重ねている。脱ぎ捨てた裳や唐衣を慌てて上に引きかけた中将の君の傍らに、ひとひらの葵の葉。

 ヒカルは取り上げて、

「はて、この草の名は何といったかな?忘れてしまったよ」

 と問う。中将の君は恥じらいつつも歌で返す。

「いかにも『よるべの水』(神に供える水)も古くなって水草が生えていましょう

今日のかざしの名前さえお忘れになるとは」

(葵=逢う日も思い出せない、つまり私のことなどお忘れなんですねってことか。うまいね)

「大体の事は思い捨てて来た此の世だけど

この葵はやはり摘んでしまいそうだ」

 いつものヒカルが束の間戻ったようである。


 五月雨の時期は、ただぼんやり物思いに耽るくらいしかやることがなく心許ない。

 梅雨の晴れ間、十日過ぎの月が空に明るく差し出た宵に夕霧がやって来た。

 月影にひと際薫り立つ花橘の匂いを風がやさしく運ぶ。「千代を馴らせる声」もしようかと待つうちに、俄かに村雲がわき出して一気に土砂降りの雨となった。風も強く吹き出して灯籠の火をかき消す。一転闇となった空の下「蕭蕭暗雨打窓声」と古詩を口ずさむヒカル。

色変へぬ花橘に時鳥千代をならせる声聞こゆなり(後撰集夏、一八六、読人しらず)

 この場面に嵌り過ぎるほど定番の漢詩であったが、女ならたちどころに恋に落ちそうな美声であった。

「独り住みは特に変わったこともないが、妙に物寂しいものではあるね。深山に住まうにしても、まずここで身を馴らしておくのが悟り澄ますためにはいいことだな」

 ヒカルは言って、

「ねえ、こっちにお菓子とか持ってきてくれない?わざわざ家来呼ぶ程でもないからさ」

 と女房を呼んだ。

 普段通りのようではあるが、時折ふっと黙り込むヒカルの姿に、尽きせぬ悲しみを見てとった夕霧は、

(これほどまでに心が離れないのでは、勤行に専念することも、悟り澄ますことも難しいのでは……とはいえ、わずかに垣間見ただけの私だってあの面影は忘れられないんだから、当然といえば当然か)

 と思いながらヒカルに尋ねた。

「つい昨日か今日かと思っていたうちに、ご一周忌もようよう近づいてまいりました。如何様にあそばすおつもりでしょうか」

「世間並み以上のことはしないよ。そうだな……あの人が志を尽くして誂えさせた極楽の曼荼羅図を供養しようか。経も沢山あるんだけど、何某の僧都とやらがその心づもりを詳しく聞き置いたそうだから、追加してすべきことはその僧都の言う通りにしたらいい」

「そうですか……そこまで前もってご準備なさっていたとは。後世のためにも安心なことですが、そのせいで此の世とのご縁が薄かったのかと思ってしまいます。せめて形見となるお子さまも残されなかったのは残念ですね」

「それはどうかな。縁が浅からず寿命の長い人であっても、殆ど身ごもることはなかったからね。私自身の問題だと思うよ。そこら辺は夕霧、お前に任せてる。その調子で大いに家門を広げてくれ」

 ヒカルは、何かにつけ悲しみを堪えきれない自分の心弱さが不甲斐なく、過ぎたことはもう滅多に口に出さない。だが待っていた山時鳥の声がほのかに聞こえてくると、

「いかに知りてか」

いにしへのこと語らへばほととぎすいかに知りてか古声のする」(古今六帖五、物語)

 と心を騒がせる。

「亡き人を偲ぶ宵の村雨に

濡れて来たのか山ほととぎすよ」

 歌を詠みじっと暗い雨空を眺めるヒカルに、夕霧が返す。

「ほととぎすよ貴方に言付けたい

古里の花橘は今が盛りだと」

 女房たちも多く詠んだが省略する。夕霧はそのまま東の対に泊まった。独りで寂しく暮らすヒカルを気遣って時折六条院を訪れる夕霧には、紫上の生前は近づくことも出来なかった座所のすぐ近くにいることが感慨深い。

 

 六月、盛夏である。

 暑さを避け、涼しい水辺でぼんやり過し、今を盛りと咲く池の蓮を眺めるヒカル。「いかに多かる」という歌が浮かび、つくねんとしているうちに日も暮れた。

悲しさぞまさりにまさる人の身にいかに多かる涙なるらむ(古今六帖四、悲しび、伊勢)

 ひぐらしが賑やかに鳴く中、庭先の撫子の夕映えを一人だけで見るしかないのは実にやるせない。

「することもなく泣き暮らす夏の日を

咎めるような虫の声よ」

 蛍がたくさん飛び交っている。「夕殿に蛍飛んで」という玄宗と楊貴妃の古詩を口ずさむ。独りでいる時にはこういう題材ばかりが出て来るのだ。

夕殿に蛍飛んで思ひ悄然たり(白氏文集・長恨歌、和漢朗詠集)

「夜を知る蛍を見ても悲しいのは

時など関係ない思いがあるからだ」

参考HP「源氏物語の世界」他

<幻 四 につづく

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