おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

真木柱 二

2020年12月6日  2022年6月9日 


 たびたびすみません、右近でございます。

 霜月(十一月)に入りました。新嘗会、豊明の節会など神事が続き、内侍所でも仕事の多い頃合いです。尚侍である玉鬘の姫君のもとに、朝から女官や内侍がひっきりなしにお伺いを立てに参上しますので、西の対はたいそう賑やかでございました。

 そんな慌ただしい中、部屋の隅にどなたかが隠れていらっしゃいます。そうです、鬚黒の大将さまです。

 長年浮いた話のひとつも聞かず、堅物として有名だった方が、別人のように恋の熱に浮かされ、毎日夜から朝まで暇さえあれば此方に来られ、恋人然と振る舞われる。そのあまりの変貌ぶりに皆が驚かされましたが、いやいやおめでたいことじゃないの、微笑ましいですわね、とみる者が大多数でした。

 ですが、当の玉鬘の姫君……ああ、もう人妻でいらっしゃいますから、玉鬘の君もしくは女君とお呼びいたします……はどうにもお気持ちが上向かないままでした。元は陽気な性格で、誰にでもほがらかに対応される方なのですが、このところずっと口数も少なくふさぎ込んでおられます。自ら求めて結婚に至ったのではないことは、身近にいる者の目には明らかでした。

「太政大臣はこの事態をどうお思いなの……?」

「兵部卿宮の深く優しいお気持ちを踏みにじってしまった……」

 悔恨と恥ずかしさに身の置き所もない気持ちでおられる玉鬘の君からすれば、僅かな時間でも没頭していられる尚侍の仕事はいくばくかの救いだったかもしれません。

 兵部卿宮はもちろん、酷くガックリされておられました。ヒカルさまとは昔から昵懇の弟君であり、お手紙のやり取りも一番多く、対面までにも至ったお方でしたから、婿候補として最有力という自負もおありだったでしょう。宮仕えされることで帝にご遠慮なさった、そのお気遣いと誠実さが徒となってしまいました。

 もうお一方、式部卿宮のご子息・兵衛督さまはなお憂鬱なことが重なっておりました。鬚黒大将の北の方は姉君です。自分の思い人を奪われた上に、姉までが愚弄されるというこの事態に嘆かれるも、今更どうにもなりません。諦めるしかありませんでした。

 ヒカルさまにとってはどうだったでしょう。

「誰よりも先に自分のものにした」

 という大将さまの発言、些かデリカシーに欠けるものではありましたが、そのお蔭で

「太政大臣は玉鬘の姫君を娘と偽り恋人にするつもりで引き取った・宮仕えはそれを誤魔化すためだ」

 という世間の噂は誤りだったと広く知れ渡りました。ヒカルさま自身、紫上にも

「貴女もお疑いだったでしょうけど、私はその場限りの過ちなど好まないのですよ」

 と、如何にも疑いは完全に晴れたとばかりに仰られました。ただ、愛情がいきなり枯渇するはずもございません。鬚黒大将さまのいらっしゃらない昼間に夏の町・西の対に渡られました。

 玉鬘の君は何かというと溜息ばかりつかれて、欝々と萎れていらっしゃいましたが、ヒカルさまのお渡りを知るや起き上がって、几帳の蔭に座られました。

 ヒカルさまももはやそれ以上は近寄られません。ごく他人行儀な態度で、当たり障りのない世間話などなされました。

 そのお姿、話し方、醸し出す雰囲気、何もかもが余りにも「夫」とは違っています。玉鬘の君がそっと零された涙も、その思いも、きっとヒカルさまは気づいておられたでしょう。

 だんだんしんみりとした話になり、ヒカルさまも近くの脇息に寄りかかり、几帳の向こうをそれとなく窺われます。面やつれした女君の姿はいっそう美しくいたわしさも添えて、ヒカルさまも胸を打たれたのでしょう。

「下り立って汲んではみなかったが

 命絶えたあと、三途の川を

 他の男に背負われて渡るようにはお約束しなかったはず

  思ってもみませんでした」

  涙ぐまれてそっと鼻をかむヒカルさま、この上なく心惹かれる仕草にございました。

  女君は顔を隠されて返されます。

「三途の川を渡りきる前に

 涙の流れに浮かぶ泡のように消えてしまいたい」

「子供っぽいことを仰る。そうはいっても、三途の川の瀬とやらは誰しも避けられない道だそうですから、お手先だけは引いてお助け申しましょうか」 

 ヒカルさまは微笑まれるとさらに言葉を継ぎました。

「真面目な話、よくお分かりになられたでしょう。この私の、世にまたとない馬鹿さ加減と、安心安全な男っぷりもまた比類なき珍しさだったと。それでいくらかは慰めにもなるかな」

 女君は声も無く泣いておられます。何を言われても耐え難く、辛いとばかり思ってらっしゃるのが伝わったか、ヒカルさまは話をそらしました。

「宮中からの仰せもあることだし、やはりすこしだけでも参内しましょうか。大将が貴女を我が物と家の中に閉じ込めてしまってからでは、そのようなお勤めも難しい身の上となるだろうから。当初の考えとは違った格好だけど、二条の内大臣、貴女の父君はご満足のようなので、何も心配はいらないよ」

 あくまで優しく、懇々となだめてくださいます。女君はありがたくもあり気恥ずかしくもあり、さまざまな気持ちで胸が一杯になるのか、ただ聞いているだけでも涙が止まりません。さしものヒカルさまも、ここまで打ちひしがれている女君に無体な振舞いをなさることは一切なく、今後の生活の心得や注意点をご教示くださいます。彼方の……鬚黒大将邸に移ることは、すぐにはお許しにならない体でいらっしゃいました。

参考HP「源氏物語の世界」他

<真木柱 三 につづく 

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