薄雲 三
せ「いえいえ、私なんてそんな。姫君は元から物怖じされない、誰にでも愛想のよいお子さまだったのでさほど心配はしてなかったんですが、それにしても紫上ですよ素晴らしいのは。あれ程子供扱いのお上手な方は初めてお会いしました」
少「昔からお好きなのよ。小さい子を見かけたらもう飛んで行ってお相手されてたくらい。それも単に猫かわいがりするのではなく、いけないことはいけないと教え諭して、それはきちんとお世話されるの」
せ「そういえば、姫君はもう離乳されてるんですが、たまに眠りそこねて愚図っているときなどに欲しがられることがあるんですね。そうしたら、何と紫上御みずからお胸を」
侍「エエー!マジで!」
右「まさに母親そのものね……」
せ「もちろんお乳が出ることはないんですが、気持ちが落ち着くんでしょうね。そのままぐっすりですよ」
少「そんな調子ですから、ヒカルさまがあの山荘にお渡りになられるのも以前ほど気にはならないようです。ただ、ヒカルさまいつも最高におめかしされるんですよ。この間なんて、桜の直衣に一張羅の衣を重ねて、香をたっぷりたきしめて、一体どんな高貴な方にお会いされますの?という気合の入れ方でした」
せ「あの時はちょうど夕暮れで、隈なく差し込んで来た西日に映えてますますお美しかったですよね(うっとり)女房一同みとれちゃいましたわ。あ、でもきっと紫上は穏やかならぬ心境でいらっしゃいましたよね。すみません」
少「そこで姫君が無邪気に、どこいくの?あたちもつれてってって可愛らしい声で指貫の裾にまとわりついて、危うく御簾の外まで出そうになったものですから、仕方なく立ち止まられたんですね。
『お父さまはご用でお出かけするんだよ。でもきっと、明日帰り来ん♪』
※桜人 その舟止め 島つ田を 十町作れる 見て帰り来むや そよや 明日帰り来む そよや 言をこそ 明日とも言はめ 遠方に 妻ざる夫は 明日もさね来じや そよや 明日もさね来じや そよや(催馬楽-桜人)
なんて催馬楽謡いつつ何とか誤魔化して、やっと出られたんですが、渡殿の戸口のところに中将の君が待ち伏せしてまして。ええ、お歌も含めもちろん紫上の差し金です。
『舟を止める遠方の人が無く(泣く)のであれば
右「おおー、余裕ねえ紫ちゃん、いや紫上」
侍「つよい……」
少「ヒカルさまもさすがに一本とられた、って感じで微笑まれて返されました。
『行ってみて、明日にはすぐにでも帰ってこよう
せ「素敵ですよねえ……姫君も、何もおわかりでないはずなのになぜか上機嫌ではしゃいでらして、きっとお二人の仲睦まじさが通じたんでしょうね。本当に、こちらに産まれていたら……」
少「私も何度同じことを思ったか知れないですわ……言えないですけど」
右「向こうの、山荘の皆さまはお元気?気落ちしてらっしゃらない?」
せ「そうですね、お寂しいとは思いますけれど、元々多彩なご趣味をお持ちの方々なので、案外のんびりと風雅にお過ごしのようです。こちらから逐一ご様子はお知らせしておりますし、ヒカルさまも近くのお寺や桂院などに出掛けるついでにこまめにお立ち寄りになられて、たまにはちょっとしたお菓子や強飯など召し上がられたりもして、すっかりリラックスされてるとか。一途にのめり込むという感じはないにせよ、ご身分を考えれば破格の扱いをされておられると思います」
少「あちらの方は母子揃って教養も深くていらして、楽器などもよく嗜まれると、ヒカルさまがしょっちゅう褒めてらっしゃいます」
せ「そうなんです。この間はヒカルさまが筝の琴をつま弾かれたのに合わせて、琵琶を披露されたようです。こちらもお上手なんですよ」
右「すごい、女性で琵琶まで弾ける人ってそうそういないよね。明石入道さまのお手ほどきってやつ?」
侍「出家の意味よ(笑)」
右「侍従ちゃんメッ☆涙もろいところといい、いたって人間らしい方よね」
せ「ええ、お人柄は決して悪くないんですよ。ただ、都での評判が未だによろしくなくて、そこはヒカルさまにとってもお気の毒なことだと思います」
少「私の、ちょっとした感想なんですけど……明石の方は本当に出来たお方で、これほどのご寵愛を受けているにも関わらず、出過ぎたことは一切なさいませんし、かといって卑屈になる風でもない。今回の養女の件にしても、ヒカルさまの心づもりをよく理解しておられ、ご自分のお気持ちは存分に伝えた上で最終的には従われた。実に絶妙なバランス感覚をお持ちの方と推察しております。これこそ教養というもの、やはり賢いお方なのでしょうね」
せ「(涙ぐむ)ありがとうございます……!誰あろう、少納言さんにそう仰っていただくなんて、本当に御方さまはお幸せ……!うまく伝えられるかわかりませんが、お手紙にもそのように書いて送りますね」
少「せっちゃん、せっちゃんのその素直さが、彼方の御方さまを癒し、紫上をも助けているのよ。これからもよろしくね(涙ホロリ)」
侍「な、なんだか貰い泣き……」
右「羨ましいわねえこの関係性。なかなかないわよ、同じ男を夫とする同士でさ」
お邪魔しましたーと二人去る。
「ねえねえ右近ちゃん」
「なあに侍従ちゃん」
「言っていい?明石の御方さまって中々にシタタカじゃなーい?計 算 通 りって感じじゃなーい?」
「あーやっぱ侍従ちゃんもそう思った?どこまでが天然でどこからが計算だかはわかんないけどさ、結果としてご自分の希少性?は死守したもんね。実際そんじょそこらの貴族にひけはとらない人ではあるんだろうけど、それは場所柄補正ってもんもあるわけよ。こんな田舎にこんな才能豊かな美女がってやつ。そうそうたる面々が揃い踏みの二条院、しかも紫上というトップオブトップが光り輝いてる場所じゃ圧倒的不利なのは明らかよね」
「ほんそれ!王子にしろ、娘を奪いとっちゃったって罪悪感もあるし、離れてるからこそ気にかけずにいられないけど、ぶっちゃけあそこまでプライド高くて気の回りすぎる人がいつも傍にいたら、メンドクサ……ってなりそう。わざわざ行かなきゃいけない場所にいるからこそ、いつまでも新鮮で特別感もあるってもんよ」
「二条院方にしても、明石の君が山荘に大人しく引っ込んでくれてたほうが好都合なのよね。紫上も心置きなく姫君を育てられてなおかつ王子がたまに行くのも仕方ないってなるし、余計な揉め事の種が減って女房的には有り難いことこの上なし」
「山荘の方もさ、あんな寒い寂しいとこで小さい子育てるのってキツイよね。万一怪我やら病気やらさせたひにゃそれこそ責任問題だし、実はほっとしてるんじゃないかなあ、大多数の女房さんがたは」
「凄いのは、多分少納言さんもせっちゃんもその辺すべて心得てて、それであの関係性なわけよ。さすがというしかないわ」
「王子直轄の女房連半端ない……アタシには到底無理無理ー。って、今思い出したけど、最近王命婦さん来なくない?アタシ、お年賀もちょこっと通りがかりに挨拶したっきりだよ」
「あー、藤壺の女院さまが調子悪いみたい。ほら、今年厄年じゃないあの方。色々加持祈祷やら物忌やら立て込んでるんだと思う」
「そっかー。皆年取っていくのねん。サザエさん方式じゃないもんね源氏物語って。それでいうとアタシたちって一体いくつ……」
「それは言わない約束よ侍従ちゃん……」
参考HP「源氏物語の世界」他
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