松風 二
明石を出発したその日は、秋風が涼しく、虫の声も今を盛りと響き渡る折柄にございました。明石の御方さまは夜明け前の海をぼんやりと眺められ、入道さまはいつもの如く後夜(ごや:午前四時)の前に起きだされて鼻をすすりながら勤行に励んでおられました。出発に際して忌み言葉を使わないよう細心の注意を払ってらっしゃいましたが、そもそも口を開く者など誰もおりません。朝からしんみりした雰囲気でした。
数えで三つにおなりの姫君は日に日に可愛らしさを増し、まさに故事にある夜光る玉……闇夜を照らす光のような心地がいたしました。誰かれとなく懐かれて、ニコニコとまとわりつかれるので、特にお祖父さまである明石入道はそれはそれはもう、目に入れても痛くない程可愛がっておられました。
「この子から片時も目を離したくない……いなくなってしまったら、どうやって暮らしていけばよいのか。堪えられない……何と情けないことだ、世を捨てた身だというのに。
姫君の行き先を遙か遠くで祈る
別れ路に堪えきれないのは老いの涙である
こんなめでたい日に、まったく縁起でもない」
と涙を押し拭って隠されましたが、尼君の方はもう取り繕うこともされず泣きながら
「貴方ともろともに都を出てきましたが、今度の旅は
独りで都へ帰る『野中の道』で迷うことでしょう」
※古道に我や惑はむいにしへの野中の道の草は茂りあひにけり(拾遺集物名-三七五 藤原輔相)
と詠まれました。無理もございません、夫婦としてともに暮らして来た年月の長さと重さからすれば、当てになるやらならないやら誰にも先はわからない旅に出て、いちどは捨てた都の生活に戻るというのも、さぞかし心細いことでしょう。
「生きて再びお逢いできる、きっといつかはと思いますが
命の限りは誰にもわかりません
せめて都までは送ってくださいませ、お父さま」
御方さまが懸命にお願いされましたが、入道さまはなんだかんだ仰って聞き入れられません。その癖、やはり心配でたまらないご様子でそわそわなさりながら、長々と口上を述べられました。
「世を捨てたこと、このような見知らぬ国……この明石に決めて下ってきましたことも、ただ貴女のため、朝晩のお世話も思い通りに心ゆくまでできようかと考えてのことでした」
「ただ、我が身の不甲斐ない宿縁の程を思い知らされることも多く、だからといって都に立ち帰り落ちぶれた古受領の類となって、蓬や葎に埋もれた貧家の有様を元の邸に復することなど今更できるわけもない。公私につけ変わり者、うつけ者との名を広め、亡き親の名誉を辱めることの堪らなさに、頭を丸め、なるほど明石に下ったのはそのまま世を捨てる門出であったのかと世間にも知らしめた」
「それについてはよく思い切ったものよと、己の決断を正しいものと信じて疑わなかったが、貴女がすくすくと成長し、物事を弁える年頃になってきますと、なぜこんな辺鄙な場所に錦を隠したままにしておくのかと、親の心の闇が晴れる間もなく、嘆きつつ神仏におすがりするしかありませんでした」
「いくらなんでもこの娘が、こんな拙い身の上の巻き添えとなって山奥の庵に馴染んで終わるなどということは決してあるまいと信じ、将来を期待しておりましたら、なんと思いがけない幸運が舞い込んだ。余りに素晴らしい相手過ぎて却って辛いことになったかと悲しむ日もありましたが、何と言ってもこの、姫君が産まれるという宿縁の頼もしさよ!」
「鄙の渚でいたずらに月日を過すのはいかにも勿体ない。お目にかかれない寂しさは鎮め難いが、何、この身には長く世を捨てた覚悟がある。貴女がたはたしかに、この世を照らされる光明そのものなのだ。しばし、この田舎者の心を乱すだけの宿縁をいただいたのだ。天上界に産まれた人でも、その果報が尽きればいまわしい三悪道に堕ちることもあろう。わが苦しみも一時のことと思いなぞらえて、今日をかぎりにお別れいたします。命尽きたとお聞きになっても、後回向のことはお考えくださいますな。逃れられぬ別れに心を動かされぬよう」
キッパリそう仰ったその同じ口で、
「自らが煙となる夕べまで……日々の六時の勤めにもなお未練がましく、きっと姫君のことを祈りに加えることでしょう」
ご自分の言葉に涙ぐんでしまう入道さまにございました。
さて京へ向かう手段ですが、車だとどうしても行列が長く伸びて目立ってしまうし、かといって分けて進むのも何かと面倒ということで、舟を使うこととなりました。供をするご家来衆も出来るだけ人目に立たないよう身をやつされて、辰の刻(午前八時)に船出をいたしました。昔の人も「あはれ」と評された明石の浦の朝霧の中、遠ざかっていくにつれしみじみ切なさに胸を突かれます。明石入道さまはお独りで、いつまでも舟を見送っておられました。尼君も感極まり、泣き通していらっしゃいました。
「彼岸の浄土に心を寄せていた海人舟が
捨てた都の世界に漕ぎかえるとは」
明石の君も応えられました。
「繰り返し秋を過してきた明石をはなれ
浮木に乗って都に帰っていくのでしょう」
※天の川浮き木に乗れる我なれやありしにもあらず世はなりにけり(俊頼髄脳所引、出典未詳)
舟は追い風に乗ってすいすいと進み、ぴったり予定通りに都に入ることができました。人に見咎められないようにと、道中はみな簡素な旅姿に装っておりました。
今おります大堰の山荘はとても風情のある所にございます。明石の海辺にもどことなく似ておりましたせいか、さほど場所が変わった気もせず、尼君も御方さまも安心されたようでした。お二人で昔話などされて、しみじみ感慨にふけっておられることも多々ございます。増築した廊、遣水の流れなど風流で洒落れていて、まだ細かい造作は出来上がっていませんが、馴れてしまえばそのままでも十分居心地がようございました。
ヒカルさまはもちろん万事抜かりなく、腹心の家司に命じられて到着の祝宴の準備もさせておられたようです。ただお立場的にすぐに駆けつけられることは出来ません。出かける口実をあれこれ思案されておられるのでしょうか、はや数日が経ちました。
男君を今日か明日かとただ待つしかない日々は心許なく、捨ててきた明石の家も恋しくて、所在なくいらした御方さまは、例の形見の琴を持ち出して来られました。季節柄寂しさがいや増し、人里離れた場所であるのをよいことに気の向くまま弾き鳴らされると、松風がここぞとばかりに響き合います。悲し気に物に寄りかかっておられた尼君は起き上がられて、
「尼姿に身を変えて独り帰り来た山里に
昔聞いたことがあるような松風が吹いていますね」
と詠まれ、御方さまも返されました。
「故郷で昔親しんだ人を恋慕って弾く
琴の音を誰が聞き分けてくれようか」
寂しい山荘で、皆がヒカルさまのお越しを首を長くしてお待ち申し上げておりました。
参考HP「源氏物語の世界」他
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