おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

須磨 十五

2020年5月18日  2022年6月9日 
ヒカルは須磨に来てから初めての正月を迎えた。やがて日も長くなり、去年植えた若木の桜もちらほらと咲き初め、空模様もうららかに春の到来を告げる。
 二月二十日過ぎ(今でいう三月末)、ヒカルは完全にホームシック状態にあった。
「南殿の桜も今が盛りだろうな。先年の花の宴では、故院はまだ在位中で、春宮だった朱雀帝が私の作った詩句を朗誦していたっけ。
 『大宮人』を常に恋しく思い続けている自分に
 『桜をかざして遊んでいた日』だけがめぐってきた
 儚いものだ」
※百敷の大宮人はいとまあれや桜かざして今日も暮らしつ(和漢朗詠集上-二五 山辺赤人)
 さすがに須磨暮らしにも飽き飽きしかけていた、ちょうどその折だった。
「ヒカル!」
 懐かしい顔ぶれが遠くで袖を振っている。大殿の三位中将、今は昇進して宰相となった友の一行だった。急に思い立って都からはるばるこの地を訪れたのだ。お互い、相手の顔をひと目見るなり感極まり、涙しながら手を取り合った。
「ヒカル、久しぶり!案外元気そうでよかった」
「よくぞ来てくれた……嬉しいよ。しかし、大丈夫か?手紙すら中々出せないだろうに」
「あー、いいのいいのそういうのは。とにかくヒカルがいなくなってから毎日超つまんなくてさ。これで罪に当たるっていうなら、俺も流して貰うわ。あっちにいるより全然面白そうだ」
 涙を拭い、照れ隠しに軽口を叩く宰相中将。物珍し気に辺りを探索し始める。
「へえ、案外良さげな家じゃん。唐風?竹で編んだ垣根に、石の階段、松の柱か。まんま昔話に出て来そう。雰囲気あっていいね」
 好き勝手言いつつ、ヒカルの姿をまじまじと見る。
「それにその格好。都を長く離れたから、もっと田舎じみたかと思ってたけど全然だね。全く憎ったらしい。許し色の黄色みがかった薄紅に、ユーズド感ある青鈍色の狩衣と指貫を合わせるとか、何そのワイルドとナチュラルの絶妙なバランス。『今日はアウトドア三昧!気の合う仲間と海辺で遊ぶ』的な?俺も真似しよっかな。まあ都じゃ浮くかもだけど」
 室内に入ってもお喋りは止まない。
「おお、外がよく見える。ってことは外からも丸見えな感じ?さすがにミニマリスト風味だね。まあ、この位物少ない方がシンプルでいいよな。碁も双六も弾棊(だんぎ:おはじきの原型?)も、道具類がコンパクトで何か可愛い!あっさすがに念誦の具は使い込んでる感出てるね。やっぱ毎日勤行三昧なん?」
 大はしゃぎである。
 食事も、中将たちのため地元で獲れる海産物中心の特別メニューとした。魚介を運んできた漁師たちを召し出して話を聞くと、海辺で長年暮らすことの苦労、さまざまに容易でない身の上の辛さをとりとめもなく語り続ける。
「身分が違っても心の行方は同じだな。何も違うところはない」
 しみじみ聴き入った後、漁師たちに衣類など与えると、生きていた甲斐があったと大喜びして帰っていった。
 宰相中将は、近くに繋いであるヒカル所有の馬が、倉から取り出した稲を与えられむしゃむしゃしているのさえ面白そうに眺めている。
 共に飲み食いし、「飛鳥井」をすこし歌って、ここ数か月の話に興じる。
「君の息子は大殿ですくすく順調に育ってるよ。父の左大臣は相変わらず、父も母も知らずに不憫だ……なんて言ってよく泣いてるけどね。ま、心配いらないよ。親はなくとも子は育つ!ってね」
 話は尽きせず、春の夜は短い。漢詩文を作りつつ一睡もせず夜を明かした。罪を問われることなど怖くないと言った宰相だが、そうはいっても余計な面倒ごとは避けるに越したことはない。そっと帰り支度を始めた供人をよそ目に盃を差し上げるヒカル。
「酔いの悲しび涙そそぐ春の盃の裏」
 白氏文集の一節をともに朗誦し、供人たちまで涙を零す。
 明け方の空に雁が列をなして飛んでいく。
「故郷をいつの春に見ることができるだろう
 羨ましきは帰る雁たちだ」
 ヒカルが詠むと、宰相中将も立ち去りがたく、
「まだ飽かぬまま雁は常世を去りますが
 花の都への道にも迷いそうです」
 と返す。
 一行が都から持ってきてくれた沢山の土産物が、風情あるさまに積んである。ヒカルは返礼にと黒駒を贈る。
「罪びとからの贈り物なんて縁起でもないと思うかもしれないが、風に向えば胡の馬のように嘶き、無事に都まで連れて行くと思うよ。あと、こちらも形見に」
 笛を差し出す。
 日の光が追い立てるように徐々に明るさを増す中、一行は出立する。見送るヒカルの胸は張り裂けんばかりだ。なまじ逢わなければよかったと思う位に。宰相中将が呟く。
「次に逢える日はいつのことだろう」
「雲の近くを飛び交う鶴よ、雲上人よ、ご照覧あれ
 私は春の日のように曇りなき身だと
 必ず許されるはず、帰れるはずと信じているが、一方では諦めてる自分もいる。こんな風に咎めを受けた者は、どんなに賢い人であっても社会復帰するのは難しいよね。そう簡単に都の地を踏めるとは思っていないよ」
「寄る辺ない雲居で独り泣いています
 かつて翼を並べた友を恋い慕いながら
 妹の葵上との縁で、今まで畏れ多くも遠慮なく何でも言いあって来た仲だけど、だからこそかえって辛いね。悔しいよ、色々と!」
 宰相中将はぷいと踵を返すと、振り切るように去っていった。ほんの短い滞在の名残が更に悲しく、ヒカルをいつまでも悩ませた。
 
 その日は弥生三月の一日、「巳」の日であった。
「お悩みのある方が禊をするのに適した日でございます」
ともっともらしく言う者がいて、では気晴らしついでにと海辺へ出かけることとなった。ごく簡略に、軟障(ぜじょう)ばかりを三方に張り巡らし、都と須磨を行き来しているという陰陽師を召し出して祓いの儀式を行う。舟にものものしく人形を乗せて流すのを、ヒカルはわが身になぞらえて詠む。
「知らぬまま大海原に流れ来て
 また流される人形にひとかたならず悲しみをおぼえる」
 晴れ渡った空の下、海面もうららかに凪ぐ。果てなく続く大海原を眺めながら、我が来し方行く末に思いを巡らすヒカル、
「八百万の神も憐れんでくださるだろうか
 私にはこれといって犯した罪はないのだから」
 詠みおえるやいなや風が吹き、一転空がかき曇る。お祓いもし終えないうちに肘笠雨(にわか雨)が降りそそぎ、まさに笠も手に取る暇がなく騒然とする。強風がいろいろなものを吹き飛ばし、波も荒々しく打ち寄せて人々の足を浮きたたせる。あれほど凪いでいた海の面は衾を張りつめたようにギラギラ輝き、ひっきりなしに雷鳴が轟く。今にもこちらに落ちて来そうな勢いに、全員ほうほうのていで住処に辿り着いた。
「こんな目に遭ったのは初めてだ」「強い風が吹くことはあっても、たいてい前触れがある。こんな急なのは珍しいよ」困惑する家来たちの頭上でなお雷は止まず鳴り響き、強い雨脚が地面を突き通さんばかりに音を立てる。「この世の終わりか」と皆が肝を冷やして狼狽える中、ヒカルはひとり落ち着いて経をよんでいる。
 日暮れる頃雷は遠ざかったが、風は夜に入っても止まなかった。
「沢山立てた願の力か?」「もう少し逃げ出すのが遅かったら、波に引っ張り込まれてしまうところだった。危なかった」「高潮というものはあっというまに人の命を損なうと聞いた。本当にその通り、恐ろしいものだな」
 皆でガヤガヤ夜を過ごし、眠りについたのはもう明け方近かった。ヒカルもうとうとと微睡んでいると、何かの気配がする。
「など、宮より召しあるには参りたまはぬ」
 一言一句、はっきりと聞こえた。誰の声にも似ていない声、誰でもない何かが、いま自分を捜し歩きまわっている。
 目が覚めた。全身、汗でびっしょり濡れている。
「……さては海龍王が私を魅入ったのか。海の底の宮に来いと」
 いや、思わぬ嵐のせいで悪い夢を見ただけだ。ただの夢。強いてそう考えようとすればするほど、身体の震えが止まらない。海に程近いこの住まいを、今まで一度も怖いと思ったことは無かったのに。
 ここにはいたくない。
 
 風はまだ止まない。
参考HP「源氏物語の世界」他
<明石 一につづく>
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