おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

桐壺 四

2019年5月7日  2022年6月8日 
内裏に戻りますと、お気の毒なことに帝はまだ起きておられました。御前にある壺前栽が今を盛りと美しく咲き乱れている傍らで、気心の知れた女房ばかり四、五人を呼び、しんみりと語り合ってらっしゃいます。明け暮れご覧になっている長恨歌の絵は亭子院が描かれ、歌は伊勢や貫之に詠ませたものでした。あの頃の帝は、大和言葉であれ漢詩であれ、そのようなものばかり話題に選んでおられたのです。

 わたくしは帝に、亡き御息所ご実家の寂しく気の毒な有様を言葉を選びつつ詳しくご報告し、母君からのお返事もお渡しいたしました。
「大変畏れ多いお手紙をいただき、身の置き所もありません。このような仰せ事につけても、闇の中で思い乱れる心地でございます。
 荒い風を防ぐ蔭となっていた木が枯れてからは
 小萩の身の上が気がかりでなりません
 父である貴方がしっかりしていただかないと、若宮はどうなるのでしょう?」
  いささか不躾な内容でしたが、抑えきれずに迸った祖母としての思いを咎め立てする者は誰もおりませんでした。帝も取り乱すまいと必死で心を鎮めようとなさるのですが思うようにはならず、亡き御息所を初めて内裏にお召しになられた時の記憶までが蘇り、次々と思いが溢れ出して止めようがありません。
「片時も離れていられなかったのに、気づけばこんなに月日が過ぎて
と今更ながら驚かれつつ、
「故大納言の遺言を違えず宮仕えの宿願を果たした喜びは、甲斐あることのように思い続けていたのにこんな結果に……ということか。今更どうにもならないことだが…
と呟き、気の毒なことだと母心を思いやられます。
「とはいえ、いずれ若宮が成長されていく中でこうなった意味がわかるのではないか。長生きしてその時を待てばよい」
 母君に贈られた遺品を差し出しますと
「亡き人の住処を探し当てたという証拠のかんざしでもあったなら……
 誰か亡き人を探し続けてくれるといいのに
 魂の在りかを其処と知ることができるように」
 絵の中の楊貴妃は、名のある絵師により上手く描かれてはいましたが所詮は虚像に過ぎません。長恨歌にある「大液の芙蓉、未央の柳」の句になぞらえ唐風に派手派手しく装った絵姿など、亡き御息所の慕わしく愛らしかった様には比べるまでもなく、花鳥の色にも音にも例えようがございません。朝夕口癖のように
「比翼の鳥となり、連理の枝となろう」
と繰り返した約束は叶えられなかった……人の命の短さが恨めしいばかりでございました。
  風の音、虫の音につけても何かと悲しみだけが募る中、弘徽殿の女御さまは久しく上の御局にすら参上しないばかりか、月の美しさにかこつけて夜更けまで管弦遊びを催されておりました。そこまでされるのかと、正直申し上げて不愉快極まりなく……帝のご様子を近く拝見する殿上人や女房などは皆、この無神経ななさりように眉をひそめておりました。大変にお気が強く刺々しい性質をお持ちの方ですから、誰にどう思われようとどこ吹く風でいらっしゃいましたとか。
  月も沈みました。
「雲の上(=宮中)も涙に曇る秋の月だ
  ましてや草深い里でどうして澄んでみえようか」
  帝は母君の心に寄り添われた歌をよまれ、灯りの芯をかき立てて火の尽きるまで起きていらっしゃいました。右近衛府の官人による宿直申しの声が聞こえます。はや丑の時刻(午前2時頃)になったようです。帝も人目を気にして夜の御殿に入られたものの、まどろむことすらお出来になりません。朝になり、体を起こされても「明くるも知らで」
(玉簾明くるも知らで寝しものを夢にも見じと思ひけるかな(伊勢集-五五)
の歌から亡き人を思い起こされ、公務にも差し支える有様でございました。

 食事も喉をお通りにならず、朝餉には形だけ箸をつけられるだけで、主菜などはまったく目に入らないかのように手をおつけにならないので、給仕の者たちは皆おいたわしいと嘆いておりました。総じて、お側近く仕える者は男女問わず
「本当にどうしたものか
と言い合っては溜息をつく毎日でございました。ただ、同情申し上げるばかりではなく、
「ここまでになるような前世からの宿縁だったのだろうが……周囲の人々の誹りや怨みをも意に介さず、ことあの方に関しては分別を失っておられた。今は今でこのように、政治を執り行うことさえも放り投げるようになっては大問題だ」
と、唐土の朝廷の例まで引き合いに出しひそひそと囁き合う声も決して少なくはありませんでした。
参考HP「源氏物語の世界
「窯変 源氏物語」橋本治

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