桐壺 二
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はじめまして、靱負命婦と申します。この頃は新しいことは中々覚えられませんで、すぐ忘れてしまうのですが、昔々の記憶ならば今も目の前にあるように鮮やかに蘇ってまいります。寄る年波がかえす恵みとも申せましょうか。今を生きる皆々様、少しの間この婆の繰り言に耳をお貸しいただけるならば、光栄至極に存じます。
あれは……若君の三歳のお祝いがありました、その年の夏のことでしたか。あの頃、桐壺更衣さまは「御息所」と呼ばれておいででした。
初めはほんの軽い、病ともいえないような体調不良でございました。もとよりお体の弱い方でしたからすぐ宿下がりを申し出られたのですが、帝は少しの暇も許されません。ここ数年来夏には同じような調子でいらしたので、いつものことと軽く捉えられたのでしょうね、
「このまま宮中にて、しばらく様子をみるように」
とだけ。ところが日に日に容体は悪化するばかりで、わずか五、六日のうちに酷く衰弱してしまわれました。御息所の母君が急きょ参上され、泣きの涙で懇願するに至り、ようやく退出を許されたのです。帝の御子である若君は置いたまま、人目を忍んでひっそりと宮を出られることになりました。
帝としてはそのお立場上、お気持ちのままに御息所を留めおくことはならず、お見送りすら表立っては出来ません。身分故の不自由さに、これ程無念を感じられたことは無かったでしょう……匂いわたるほどに美しかった最愛の御息所がすっかり面やつれされ、思うように物も言えず、息も絶え絶えに夢か現かを行きつ戻りつしてらっしゃるご様子を目のあたりにしながら、まったく成す術もない……涙ながらに叶えられるはずのない約束を山ほど結ぶも、返事もかえらず、まなざしにも力なく、意識は薄らいで遠のいていくばかり。まさに風前の灯でございました。帝ご自身から出発の命令はとっくに出されておりますのに、車を止めては中に入ることを繰り返され、送り出せないままただ時ばかりが過ぎていきます。
「限りある命、共に生きようとお約束したものを。まさか私を打ち捨てて去ることなどできないでしょう?」
帝の悲痛な叫びに、御息所もはっと胸を打たれたのか目線だけを動かされ、
「これを限りと別れる道にひとり立ってしまいましたことが悲しく……
もっと生きていとうございました……
本当に、このようなことになるとわかっておりましたら……」
と、苦しい息の下で仰られました。それ以上はもはや声にもなりません。御息所のお命は今にも消えようとしておられました。最期を見届けたいという帝の願いは叶うはずもなく、
「ご祈祷を承った僧たちが既に待機しております、今宵すぐ始めますので、さあ」
と家来たちに急かれ、ようやく車は出立したのでございます。
帝はご心配の余り、全く眠ることがお出来にならないまま、長い夜を過されておりました。頻りにご様子を知りたがり、使いの者が行き来する間も待ちかねておられましたが、遂に、
「夜半を少し過ぎた頃に亡くなられました」
と、御息所のご実家の方々が泣き騒いで知らせました。使いの者が肩を落としながらこの悲報を持ち帰りましたが、帝は酷く取り乱され、分別も失われて部屋に籠ってしまわれました。
母を失った若君は慣例に従い、内裏からご実家に送られることになりました。まだ幼い若君には何事があったのかもお分かりにならず、周りの人々が皆泣き惑い帝も涙にくれてらっしゃるのを、不思議そうにご覧になるばかり。ただ母子が離れるだけでも悲しいことですのに、ましてそのまま死に別れてしまうとはお気の毒すぎて、誰しも何も言いようがありませんでした。
桐壺の御息所の葬送はしきたり通りしめやかに営まれました。母君は
「娘と同じ煙になって消えてしまいたい」
と泣き焦がれつつ、御息所を乗せた女房の車の後を追われました。愛宕という場所で大層厳かに葬儀が執り行われましたが、母としての悲しみは如何ばかりであったか、察するに余りある痛ましいことでございました。
「虚しい亡きがらと知りながら、まだ生きているかのような心地がいたします。まったく詮無いことですので……灰になるところを見届けて、もう娘はいないのだときっぱり諦めようと思っています」
と、初めは気丈に仰っておられたものの、いざ現地に着いてみますと車から落ちんばかりに泣き崩れ、取り乱されました。大方察しはついていましたけれども、お世話する女房たちにとりましても中々に辛いことでございました。
内裏より勅使が遣わされ、亡き御息所に従三位の位を追贈する旨読み上げられました。ついに女御と呼ぶことなく終わったのが心残りで口惜しい、せめてもう一段上の位階だけでも……という帝の切なる願いであり、お心遣いでしたが、詮無いことに悲しみがいや増すばかりか、世間には随分と叩かれたものです。ただそんな中でも心ある人は、亡き人の容姿が素晴らしかったこと、穏やかな気質でこれといった欠点もなく、人に憎まれるような方ではなかったことなどを、今更のように思い出すのでした。見苦しいまでのご寵愛故に皆に冷たくされ嫉まれたけれど、人柄が良く情に細やかな性質を、内裏付きの女房たちも恋しがり偲びあっておりました。
「ある時はありのすさびに憎かりき亡くてぞ人は恋しかりける」
の歌のように、生きている間は欠点の方が目につき悪口ばかり言っていても、亡くなった後は良いところばかり思い出して恋しくなる、というのはまさにこのことかと思われます。わたくし自身も含めまことに、人とは愚かなものでございますね。
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