おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

花宴 二

2019年3月28日  2022年6月8日 
桜の宴は夜更けてようやくお開きとなった。
 上達部たちは三々五々引き上げていき、帝や中宮、春宮の一団も退出されてすっかり静まり返った中、月ばかりが煌々とさし出て美しい。まだ酔いのさめやらぬヒカルはこのままただ帰るのも惜しくなり、
「あれだけ盛り上がった宴の後だ、宿直の者どもも相当飲んでいるはず。……これはワンチャンあるかも?!」
とばかりに、藤壺の辺りを忍び足でウロウロしてみる。が、当然のことながら何処もかしこもガッツリ施錠されている。がっかりしながらも諦めがつかず、ふと弘徽殿の細殿に立ち寄ってみると、何と三の口が開いているではないか。
 弘徽殿の主である女御は上の御局、つまり帝の元に参上されているため、如何にも人少なな気配である。奥の枢戸(くるるど)も開けっ放したまま物音もしない。
「……ま、こういう時に世の中に過ちが起こるんだよね」
と薄笑いのヒカル、さっさと上がり込んで中を覗く。皆寝ているようだ。そこに若々しく美しい、気品の感じられる声が!
「朧月夜に似るものぞなき……」
 しかもこちらの方に近づいて来る! すっかり舞い上がったヒカル、咄嗟にその袖を捉えた。女はびっくり仰天して、
「えっ何? 嫌だ、誰かいるの?」
 と狼狽えるが
これは心外な。朧月夜のことを仰っていたではありませんか。
 このような夜更けの情緒を心得ているあなたのような方に出会えるとは
 朧どころか深いご縁だと思いますね」
などと歌を詠みかけつつ、そっと彼女を抱き上げ、枢戸をぴたりと閉めてしまった。あまりの急展開にドン引きしすぎて声も出ない様子に、何故かきゅんとするヒカル。女性は震えながら
「ここに人が……」
と声を上げようとするが、
私は何をしても許される身だから、誰を呼ぼうと無駄ですよ。ただ、お静かに……」
 その声、そしてそのセリフ! 超絶イケメンにして頭脳明晰有能官僚・完全無敵のヒカル王子以外にありえない! 女は少しほっとするが、色々と危機であることに変わりはない。この状況自体、バレたらメチャクチャ怒られる案件よね……でも相手が相手(桜の宴でのお姿素敵だったわー)だし、あまりに強硬に抵抗して空気読めないカマトト女子なんて思われるのも嫌だし~うーんどうしよ~なんてフラフラ考えている。今宵のヒカルは酒を過しすぎたかいつになく肉食系な心持ちであり、女も若く頼りなく、何が何でも逃げようという気が薄いどころかヒカル王子ならいいんじゃなーい?こんなチャンス滅多にないんじゃなーい?と半落ち状態。となると結果はもう見えている。

 春の短い夜が明けた。どんどん明るくなる外に気が急かれるヒカル。まして女の方はとっくに我にかえってアレコレ考え込んでいる。
「名前を教えてよ。この先どうやって連絡取ればいい? まさかこれきりで終わりと思ってるわけじゃないよね?」
 ヒカルが言うと
「私が名を明かさぬまま命を終えましたら
 草の原にまで尋ね回らずに済むと思いますわ」
などと答えるさまが妙に色っぽい。
「いやいや! そういうことじゃないから!
 何処にいるかと露の宿りをかき分けていれば
 小笹の原に波風も立ちましょう
 無暗に人の噂をかきたてたくないだけだよ。今後も逢いたい気持ちがあるなら隠す必要なくない? 何で教えてくれないの? ひょっとして……」
 みなまで言わないうちに女房達が起き出す気配がして、上の御局とこちらとを行きかう物音が騒がしくなってきた。流石の王子もこれ以上ここにはいられない。とり急ぎお互いの扇を取り換えて細殿を出た。

 桐壺には女房達が大勢泊まっている。ヒカルがこっそり帰って来たのを察して
「何ともお盛んなお忍び歩きですこと」
 と寝たふりをしながら突っつき合っている。王子は自分の布団に潜り込んだものの眠れない。
「イイ女だったなー。弘徽殿の女御の妹なんだろうけど、まだウブな感じだったから五か六の君? 師宮の北の方、頭中将のなさぬ仲の奥さん……は四の君だっけ。両者とも美人らしいが……人妻ならばもう少しこなれた感じになりそうだから違うな。とすると六の君か? 確か春宮に入内させるつもりだとか言ってたような……うわヤッバ。やらかしちゃったな……コレうかうか誰にでも質問できないじゃん。超隠密行動しないと。向こうも一回限りとは思ってない風だったけど、うーん……繋ぎをつけようにもどうしたものか……」
などと、一瞬感じた罪悪感など消し飛ぶ勢いで、謎の女性(ほぼ六の君確定)とどうしたらまた逢えるかあれこれ算段する。一方で、
「それに引き換え名前を言えないあの方の周囲はとんでもなくガッツリ固められてたよなあ。流石ちゃんとしてるわ」
と比較せずにはいられない、超絶身勝手なヒカル王子なのだった。

 その日は後宴の催しもあり、一日忙しく過ごすことになった。ヒカルは筝の琴の演奏を担当。昨日の宴よりも優美で趣のある催しだった。
 明け方、弘徽殿の女御と入れ替わりに藤壺宮が上の御局に参上されたようだ。
「昨夜逢った有明の女君も退出してしまうのでは?」
と気が気でないヒカル、何事につけても目端のきく腹心の家来・義清や惟光に命じて見張りをさせる。御前から退出する頃に、
「たった今北の陣から、かねてより物蔭に立てつけてあった車数台が出たようです。方々のご家来衆がたむろする中、四位の少将、右中弁などが急いで出て来てお見送りしていたので、御退出されたのは弘徽殿方でほぼ間違いないと思われます。遠目にも高貴な方らしき様子がはっきりわかりました。車は三台ほどでございます」
という報告が上げられた。ヒカルは胸をドキドキさせながら
「さてどうやってあの子を特定するかな……父の右大臣に聞きつけられて大袈裟に婿扱いされるのも何だし。まだ相手の様子を見極めないうちは厄介だな。とはいえ確かめないまま悶々と過ごすのもイマイチ……うーんどうしよ」
と碌でもないことを思い煩いつつゴロゴロしていた。
 交換した扇は桜襲の色合いで、濃い色の方の面に霞んだ月が水に映る様を描いてある。よくある絵柄だが、持ち主を伺えるほどよく使い馴らしてある。「草の原を」と詠んでいた様子ばかり心に浮かぶので
「今まで味わったことのないような気持ちだ
 有明の月の行方を空の高みに見失ってしまった」
と扇に書きつけて、大事に取って置いた。
参考HP「源氏物語の世界
「窯変 源氏物語」橋本治
花宴 三につづく>
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