おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

「桜田門外ノ変」

2019年1月16日  2023年9月13日 
 
「桜田門外ノ変」吉村 昭
このところ関心の向いている幕末界隈の本。歴史小説といえばやはり吉村さんの筆致がダントツに好みだなあ。
こちらは梗概というよりは、流れを書いていくことにする。何しろ登場人物多すぎで頭を整理しないとこんぐらかる。

基礎知識としてコトバンク「大辞林第三版」より:
さくらだもんがいのへん【桜田門外の変】
1860年3月3日、大老井伊直弼が桜田門外で水戸浪士ら一八名により暗殺された事件。勅許を待たずに日米修好通商条約に調印したことや安政の大獄による弾圧などに対し、水戸浪士が憤激して起こした。 

 たった三行で説明されてしまうこの暗殺事件が何故、どのように起こったのか。主人公は実行犯18名の中の一人にして総指揮をとっていた関鉄之助、奇しくも井伊直弼の幼名もまた同じ「鉄之助」である。
 以下、「桜田門外ノ変」の超おおざっぱな説明(とはいえ長い)。

第九代水戸藩主・斉昭が大幅な藩政改革を断行。尊王攘夷色の強い水戸学を基に軍事力強化、寺院勢力への弾圧をおこなった。身分は二の次でこれと見込んだ人物を重用したため、家格を重んじ藩を牛耳っていた門閥派との対立激化。
※尊王攘夷:君主を尊び、外敵を退けようとする思想

急進的な改革が幕府にも警戒され(門閥派の暗躍あり)、斉昭は藩主の座を追われ謹慎の身に。改革派は一掃される(役職追放・左遷・粛清)。

相次ぐ外国船の渡来に危機感を抱いた幕府は、国防問題に明るい斉昭の処分を解き、藩政への関与も許可。幕府の対外政策の中心人物となる。これにより再び改革派が盛り返し、要職に復帰。門閥派は一掃される。→物語はこの辺りから始まる

過激な攘夷論をぶち上げる斉昭は次第に孤立。折しも水戸の郷士が大使ハリスの暗殺を計画、水戸藩は幕府と協力し未然に防いだものの、藩自体が一層危険視されることとなった。

米国通商条約の締結にあたり、賛成派(開国派)と反対派(攘夷派)とで議論紛糾、さらに前者が紀州派、後者が一橋派とする将軍後継問題も加わるカオス。両者とも朝廷を味方に付けようと画策する中、紀州派の先鋒・開国派の井伊直弼が大老に就任。
※大老は将軍補佐役で絶対的な権力を持ち、将軍ですらその決裁は動かせない
※井伊の所属する彦根藩は水戸藩と過去に確執あり

井伊大老の下、幕府は米国通商条約を締結。朝廷の許可を得ないままの調印だったことで、斉昭をはじめとした一橋派の藩主たちが江戸城に向かい井伊大老を批難するが、のらりくらりと相手にせず、逆に「登城日でない日に押しかけた」として全員を処罰。特に斉昭父子の処分は厳しく、ほぼ幽閉状態に。

水戸藩では斉昭父子の処罰を解くべく朝廷の力を借りようと、水戸藩と関係の深い薩摩藩士・日下部を京に送る。薩摩藩主・島津斉彬は井伊大老の朝廷軽視のやり方に反発し、大軍を率いて京に入り朝廷を守護した上で幕府を従わせる意を示していたが、その調整のさなかコレラで急死してしまう。

朝廷は幕府と水戸藩に対し同内容の勅命書を下賜。「戊午の密勅」と呼ばれる。
※通常、いち藩が幕府と同列に扱われることはない。幕藩体制を真っ向から否定する相当イレギュラーなやり方

幕府側は大反発。水戸藩および尊王攘夷思想に与する者に対し、さらに処罰の対象を大幅に広げ苛烈な刑を課した。世に言う「安政の大獄」。さらに、水戸藩に対し勅書を返還するように求め、さもなければ水戸藩を取り潰すと脅す。

此処に至り井伊大老暗殺計画が本格的に始動。「暗殺成功の暁には薩摩藩が挙兵し京に入り朝廷を守護する」という盟約をとりつけた上で実行。

季節外れの雪の日、井伊大老は暗殺され首級を挙げられる。18人は事前に決めたルールに従い、負傷して動けない者は自害、動ける者は幕府に対し趣意書提出、無傷の者は京へ向かい薩摩藩軍勢と合流することに。

しかし京へ近づいても何の動きもない。薩摩藩主は幕府とこれ以上争うことを好まず、むしろ暗殺に関わった者を引き渡す側にまわった。朝廷も他の藩も、幕府に睨まれることを恐れて関わりを避ける。

行き場の無くなった志士たちは次々捕まり処罰を受ける。最も長期間(約一年半)逃げ続けた関もついに新潟で捕縛、死罪に処される。

-----------------------------------------------------------------
……おわかりいただけただろうか(と自問)。これでも相当長い…長すぎる。

 まあ一言でいうとだいたい斉昭公が元凶かなと思ってしまう。機を見るに敏で、ガンガン実行していくその胆力と推進力は素晴らしいが、いかんせん強引過ぎたのと俺様すぎた。井伊直弼の方も彦根藩内で思い切った改革を行っており、決してガチガチの守旧派というわけではない。ついぞ誰も経験したことのない外国との交渉、第一責任者として最前線にいたわけだから、早いうちから開国やむなしという考え方になるのも無理はない。尊王攘夷思想にあくまでこだわり外国は打ち払うべしと勇ましいことばかり言って現実を見ない人間よりよほど柔軟な考え方をしていたのではないか。ただ斉昭の場合、外国の脅威は重々承知しているにも関わらずあえて過激なことを声高に言い放ってマウントを取ろうとしている風も伺えるので、更にたちが悪く扱いも難しかっただろうと思う。
 斉昭がもう少し聞く耳を持ち、井伊も幕府としての立場やメンツにとらわれず腹を割って話していれば、最強のタッグとなったかもしれない。二人とも頭脳明晰で有能な人物なのに勿体ないことだ。お互いにやった・やられたを繰り返して潰しあってしまった。
 それにしても、江戸幕府が作り上げたシステムは余程優れていたのだろう。改革派にしろ守旧派にしろ、長年しみついた習性は容易に変えられない。あっちこっちに許可を得て、根回しして……というようなことを結構な距離を移動しつつ、至って真面目に行うのだ。一体何がそこまでさせるのかというくらい皆が皆正当な手続きというものにこだわり抜く。とことんまでやり尽くしてそれでもダメならやっと武力行使、という感じ。こんな国、他には無かったのでは?植民地にする気満々でやってきた外国人たちもさぞかし面食らったことだろうと思う。
 開国にあたり、幕藩体制を死守しようと躍起になっていた井伊大老が、目的はどうあれみずから現体制を崩す最初の一石を放ち(勅許を得ず条約調印)、さらに慣例をやぶる決定を下し(安政の大獄)たことから、これまた前代未聞の戊午の密勅が出され、益々必死に水戸藩を追い詰めた結果、大老が江戸城下で暗殺されるというありえない事件を招いた。これはまさに幕府の終わりの始まり、中々に皮肉がきいている。
 木簡の本にあった「システムが完璧すぎると、いつかそれを維持できなくなり継続できなくなる」という説が見事に当て嵌まることに戦慄さえ覚える。歴史は本当に繰り返すのだなあ。
 おまけ:18人の中に生き残りが二人いて、それぞれ明治維新を過ぎそこそこ長生きしたことにビックリ。一人は水戸に戻って警察署勤務までしていたそうな。どんな思いでいたのだろうか。話を聞いてみたかった。

 おまけ2:これ書くの忘れてた。
 暗殺後京に向かうも薩摩藩にブッチされ自害する高橋多一郎(47)とその息子(19)の話が凄すぎる。
 まず外に出たところで捕り手が囲むが、眼光鋭い高橋に誰も手が出せない。そんな中悠々と茶屋に入り草鞋を買い、もはやこれまでと短刀を抜いて腹に突き立てるんだけど、店主に
「店を血で汚されたら困ります」
って懇願され、それもそうかと腹から血流しながら捕り手の囲む中すたすた歩いて天王寺の門をくぐり、寺役人の屋敷に入ってこれこれこういう理由で自害したい、と頼んだらそこの主人、
「遠慮なく奥の座敷をお使いくだされ」。
 何だろう物凄く悲壮な場面のはずなのにこのほっこり感。奥の座敷だからおそらくその家で一番良いお部屋だと思うぞ。
 高橋父は喜んで、遺骸の始末や座敷の修復に使ってくれと所持金を渡し、流れる血で襖に辞世の句を書いて切腹。苦しむ高橋父の姿をみかねた主人が息子に
「介錯されたほうが」
とすすめるも、息子は
「父の介錯をすることは天道に反する」
として辞退、父の死を見届けてから自らも切腹を遂げる。

 こういう話が今に残っているということは、頼まれた方も名誉なことと考えていたんだろうなあ。今では考えられないエピソードで美化するべきものでもないけど、当時の武士としての価値観が日本全国どこでも通じる共通認識だったことも凄いし、その中での最大限の思いやりというか、気概というか、阿吽の呼吸とでもいうべきお互いの対応がまた凄すぎる。これは外国人にとっては脅威ですよ十分。
ー記事をシェアするー
B!
タグ

コメント

notice:

過去記事の改変は原則しない/やむを得ない場合は取り消し線付きで行う/画像リンク切れ対策でテキスト情報追加はあり/本や映画の画像は楽天の商品リンク、版元ドットコム、公式SNSアカウントからの引用等を使用。(2023/9/11-14に全記事変更)(2024/10より順次Amazonリンクは削除し楽天に変更)

このブログを検索

ここ一か月でまあまあ見てもらった記事