おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

「神仏習合」

2018年11月26日  2023年9月13日 
 
「神仏習合」 義江彰夫著
「神仏習合」再考 ルチア・ドルチェ 三橋正 編
懲りずにまた学術本ラッシュ。
だって神仏習合について知りたかったんだもの。
これでわかったか?と言われると自信ないけど、まとめてみる。

まず面白かったのは、今までその地を治めていた神が次々と、
「そのことにより重い罪業を抱え」
「神道の報いを受けるところに至」ったため
「永く神の身を離れ」
「仏教に帰依したい」
という託宣を下したという記録が各地に残っているということ。何と、神様自ら仏に救いを求めると!
勿論その「神託」は人間の事情を色濃く汲んでいるものだから、とどのつまり日本社会の流れは仏教に向かっていたということ。朝廷からすれば、神の宿る稲穂や幣帛(みてぐら)と引き換えに民から「神への捧げもの」としての初穂=租税を受け取るというシステムが成り立たなくなってきたというゆゆしき状況である。だが律令国家としての道を選び、支配と所有という概念を知った以上これまでの「神と人間」だけの世界には戻れない。とすると、仏教を通じて国を統制するための新たな論理、新たな枠組みを創っていくしかない。
仏教の根本は、
「物や人間に対する欲望に罪の源泉があり」
「その罪を償うためには苦行によって欲望の根を断ち」
「その世界から解放されて悟りの境地に達することこそ究極の目的である」
という教説にある。
諸国豪族たちにとって、支配と所有=私有するということで生まれた「共同体の神と村人に対する罪悪感」を解決するためには、仏教の論理と価値観が大変好都合だったのだ。そのビッグウェーブに乗った者たちが「雑密」と呼ばれる密教系の僧たちで、各地に「神宮寺」を建立、その後空海が現れて大乗真言密教を導入、論理体系を確立して日本社会に普及させた(ブラタモリでも出てきてた、仏教を庶民にもわかりやすく広める空海プロデュースのテーマパークがその一例)。

第二段階は「御霊(怨霊)信仰」。奈良時代半ばまでに、王権中枢部で、権力抗争の末に敗死した特定者の霊が恨みを持って現れるという観念が生まれ、平安初頭以降に一般民にまで広くこの怨霊が祀られるようになった。天変地異や自然災害、疫病の類なども怨霊の仕業とされ、遂には王までも死に至らしめる程の力を持っているということになった。悪い事が起こるのは全部怨霊のせいとするのは誰にとっても都合の良いことだったにちがいない。民は不安の理由がはっきりするし、密教寺社勢力からしても御祈祷のニーズ激増でこれまた喜ばしい。かくて王朝国家は寺社勢力を護国の手段として利用しつつ抑え込み、統治体制を完成させた。

第三段階は「ケガレ忌避観念の肥大化と阿弥陀浄土信仰の日本的論理化」。九世紀から十世紀の間に、神祇信仰を基とする「一定の理由でケガレることがあり、ケガレは浄化されなければならない」という観念が、王権と貴族の日常規範を規定する論理にまで高められ、浄土信仰=ケガレの全くない極楽浄土に再生することを求むべきという教えと結びついた。これにより仏教と神祇信仰がはじめて対等になり、各々の固有の価値観を堅持したままで共生するという、神仏習合の新しい段階を築いた。

第四段階は「本地垂迹説と中世日本紀」。神仏習合の最終到達点である。本地垂迹説とは仏教側からの神祇信仰抱きこみの教説体系、つまり仏の側から積極的に神の世界に侵入し、自らを仏の化身と位置付けるというものである。優位な立場にある仏教が、神祇世界のすべてを包摂・統合するという積極的な論理。「中世日本紀」とは、「古事記」「日本書紀」の神話と神々を本地垂迹説で説明しようとするものである。かくて、神仏習合は、神仏の在来のままでの共存を前提としながらも、仏教が神々の世界のすべてを包み、導き、統合するという段階にまで至った。

この後は、逆に神々が仏を支配する反本地垂迹説をテコに、神仏分離と、それを前提にする垂加神道から国学へと展開していく。つまりこの第四段階をもって神仏習合の最終的到達点といってよいだろう。

・・・
ざっくりまとめられることではないけど、あえて無理くりやってみる。

神様のお告げで国を治めるよ!
→律令制やる!仏教伝来!
→色々都合が良さそうなので国挙げて仏教奨励!
→神様も仏様に色々助けてもらっちゃおうかな!
→謀反起きた!鎮圧した!
→なんか色々悪い事起きる!もしかして:恨みをのんで死んだ人の祟り?
→加持祈祷だ精進潔斎だ物忌だ!(神様サイド)
→死んだ後は極楽浄土!準備として出家!(仏様サイド)
→別に分ける必要ないんじゃない?同じってことでいいんじゃない?神様は実は仏様の別の姿だったってことにすれば、一つ拝めば二つ拝んだのと同じになって効率いいし有り難さもご利益も倍率ドン!(本地垂迹説)

つまり人の「罪の意識」というものがキーワードなのかな?あとしっかりとした論理体系。目に見えない心の問題を、目に見える様式に落とし込んだ感じ?辻褄が合わない・全体が見えないわからないという状態が不安の正体だから、そこを形に表したわけか。
素朴な昔話しかないところに、プロットもよく練られてしっかり構成された斬新で壮大な物語が華々しく登場すれば、そりゃそっちに飛びつきますわな。おまけにバックアップするのは当時の最高レベルの知識階級ときたら、そりゃ無敵だわ。かつてローマ帝国の崩壊にとどめをさした程の力を持っているキリスト教が日本に今一つ根づかなかったのは、やっぱり一神教がネックになって、神仏習合のような双方向からの歩み寄りというものが不可能だったってことが一因なのかもしれない。
とりあえず、正月に神社にお参りしてお盆・お葬式はお寺、という日本の「宗教」は、決して「何も考えていないから」ではなく、長年の経緯と明確な根拠あってのものだったということだけは理解した。基本的に、盲目的に何か一つだけを信じるということはしない国なんだな。
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