「最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか」
Inviting Disaster :Lessons from the edge of technology
草思社文庫
日本語タイトル中々目を引いていい感じだなーと思いふと表紙に小さく書いてある原題を見たら、「EGDE」になってる。頭のところのタイトルはEDGE。間違いだよね??でも表紙だよ???もしやわざとなんだろうかこれは…読者への挑戦か(んなこたない)。※2023/9/13追記:amazonで検索したら修正されてた。現画像は修正後です。我が家にある文庫本は当然そのまま。
1.知識や経験の不足
2.無理なスケジュール
3.慢心と怠慢
の三つかなと思った。
と、ここまで書いて寝た翌朝、大阪で震度6弱の地震。阪神淡路大震災の時ほど大きな建物の崩壊こそなかったが、小学生の女の子が一人亡くなった。原因はブロック塀の崩壊。学校のプール横、通学路に沿った塀の上半分が倒れて直撃したらしい。
←これは倒れる前の塀。壁画のせいで遠目に見るとブロック塀とはわからない。アップで見ると、大人の頭位の高さから積みあがっているのがわかる。倒れたあとの画像を見る限りでは、折れた部分の鉄筋も短く支えとなるようなものもなさそう。この塀、道路からの高さが2・2メートルを超えている上に控え壁もなく、建築基準法に適合しないことが明らかになったそうだ。
女の子は当番でいつもより早く家を出た。緑色に塗られた通学路の上をちゃんと通っていたが故に・・・痛ましい限りだ。
いち早く高槻市長が謝罪会見したが、そこで語られたのは「行政に一定の責任がある」「3年に一度点検していた」「ブロック塀を作った経緯と中の構造がどうなっていたかは現時点で不明」ということだった。
個人的に最も謎なのが、
「目隠しという目的ならば他の手段もあるのに何故ブロック塀を選択したのか」「作ってから今まで誰も危険性を感じなかったのか」ということだ。この小学校は1974(昭和49)年開校、当時は土台+フェンスという形だったそう。ブロック塀が危険だと問題になったのは1978年(昭和53年)の宮城県地震で、それ以来規制が強化された。ブロック塀施工がこれより前であったとしても、全国的に危険性がクローズアップされた時点でなぜ変えようとしなかったのか?後であったとしたら何故わざわざ選択したのか。あまつさえ壁画まで描いている(学校・地域・保護者・児童による)。その結果、通学路の真上にブロック塀があるという事実は認識しづらくなり、忘れられてしまったのではないだろうか。
理由は何だろう。このくらい大丈夫だろうという「知識や経験の不足」か。何か言われると面倒だから誤魔化そうという「怠慢」か。それか「無理なスケジュール」で作られた結果元々の構造に欠陥が生じていたのか。いずれにせよルールが守られていなかった。さらに危険性を感じ取って対策すべき関係者全員に「学校だから安全なはず」というバイアスがかかってしまっていた。児童は決まりに従い、安全とされているグリーンベルトの上を歩いていたのに被害に遭った。完全に大人の責任である。
高槻市には他にも同じようなブロック塀のある学校が沢山あるらしい。地域性の問題もあるのかもしれない。続報を注目していようと思う。
コメント
コメントを投稿