2010年8月24日火曜日

第143回芥川賞・「乙女の密告」赤染晶子について

小説の書き方にはいろいろあって、ストーリー重視か、人物・キャラクター重視か、文体にこだわるか、またはある世界を構築することにこだわるか。いずれにせよ、書きたいことの核からブレることなく、常に必然性を持った手法で読者に伝えていかねばならない。

「乙女の密告」赤染晶子

最初の数行であっというまに「乙女の世界」に引きずり込まれる。「乙女」という言葉じたい、ちょっと気恥ずかしく照れくさい響きがあるのだが、独特のリズムを刻む短めのセンテンスに、案外抵抗なくするりと乗れる。読む人が乙女かどうかは関係なく(笑)その世界に入り浸ることが出来るという、小説ならではの醍醐味を感じさせる。
その世界は特異だが、ストーリーとしては単純でわかりやすい。ただ構造としては幾重にも層があり、思ったより奥行きがある。お菓子の家のように甘く儚い平屋だと思っていたら、実はその後ろにも地下にも部屋がたくさんあったという感じ。
忘れてはいけないと言う教授、忘れることの恐怖にとらえられ、言葉をみつけられない主人公が迷うさま、忘れることを恐れず、むしろ「自分の一番大事な言葉」に出会うまで努力を重ねる麗子様、作家にとっても一番大事な「言葉」の持つ意味が、教授の、麗子様の、主人公の口を借りて語られる。それが、ユダヤ人として生きることを許されず隠れていたアンネの立場に重なる。危うく見つかりそうになったが運良く事無きを得た夜、アンネは「戦争が終わったら、私はオランダ人になる」ことを決意する。それを重大な喪失、とみるか、新たな言葉との出会い、とみるか。私は両方ありだと思ったが、それは私がユダヤ人ではなく日本人であるからかもしれない。
「アンネ・フランク」というあまりにも有名な、悲惨な運命をたどった少女の世界と、架空の「乙女の世界」を並び立てることに違和感がないわけではないが、同じ体験をしたこともない、何を共有すべくもない生活をしている現代の人間が彼女の「言葉」に触れようとするなら、この方法もありだ―――こういう形で語ることの、紛れもない必然性がある、と思った。

さらにこの「乙女の世界」が京都弁てところが重要でもある。ここで京都弁はズルい(笑)。なぜか京都弁は、いちど用いるとそれ以外の方言が考えられないほど、こういう世界にしっくり嵌るのだ。福井弁じゃこうはいかないもんなあ。

2 件のコメント:

  1.  最近思うのは、空っぽな事。人間のちっぽけな意思とは何だと思う。小を捨てるものは大を得る。小はどれだけ大きくても連続的大の小だ。しかし、ここでも逆説的に全があるのだ。どんな小さな埃でも、真実なのだ。無限の姿は無限でしか、いや無限以上でないと捉まれないが、無限以上なんていうのは、論理破綻以外の何者でもない。人は花を愛でる。それはいつも矛盾の先端にいる人間の、儚い抵抗であるとともに、宇宙の慈しみと癒しを齎すからかもしれない。
     宇宙は命の集成であると共に、民主的な集合と独断的な支配のバランスに成り立っている。たった1パーセントでも振れば、宇宙は変化する。というか、その振れが宇宙の歴史かもしれない。
     語るのは、いつも夢である。そしてそれはいつもリアリティーである。

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  2. 預言者様
    こんばんはー♪
    いつもありがとうございます。語るものはリアルな夢?小説の本質はそこなのかなあ。
    そうそう、いちどお願いしてみたかった。今度、コメント全行京都弁でひとつお願いいたします(てへ)。

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