「吉村昭の平家物語」「令和に生かす日本史」

  積ん書も溜まっておる。

「吉村昭の平家物語」吉村昭(2008)

 吉村昭さんの訳本とは珍しい、と思ったら、あとがきによると「戦艦武蔵」について「この小説には哀感があり、平家物語の音色がする」と書いた獅子文六氏の推薦文がきっかけらしい。「『戦艦武蔵』を書いた私が『平家物語』の現代語訳をすることに因縁めいたつながりを感じ」引き受けることにしたという。「少年少女古典文学館」のひとつとして書かれた今作品、大人が読んでも十分読み応えあるが、それもそのはず、

「少年少女は、意味のわからぬ単語に出会い、その意味を知ることによって豊かな知識を得てゆく。少年少女におもねることは、知識の蓄積をさまたげるだけで、かれらに不親切と思うのである」

というお考えだったと。痺れる。幼少の頃から読書好きだった私だが、「平家物語」の原本(とされるもの)は読んでない、多分。エピソードは大体知ってるが、個別に絵本やら漫画やら他の小説やらで触れたんじゃないかと思われる。一度橋本治さん訳のを読んでみたが、延々と中国故事の話が続く一巻で挫折してしまった。いやこれ絶対琵琶法師語ってないやろこの辺、客が逃げるわと思いました(橋本さんの訳が悪いわけじゃない、念のため)。吉村さんによると、原本は宗教的な記述が多く、説教調で説明長すぎ、しかも本筋にさして関係ないので削った、とのこと。作者不詳だし、複数人で琵琶法師の語りを集めてまとめて解説した、みたいな感じなのかな?今度橋本さん訳を再チャレンジしてみよ(積読があああ)。

 それはともかく本作についてなのだが、本当に「平清盛を中心とする平家一門の興亡」だけが書いてある。だけ、とはいえ七十年もの間に起こったことだから、そうとう駆け足かつ割と淡々としている。歌舞伎や能狂言の題材となった有名エピソードであっても同じ。つまり必要以上に盛ったり改変したりしていない、かなり抑制がきいてる感じである。吉村さん曰く、

「私の胸の中には思ってもみなかった感情がわきはじめた。『平家物語』の作者、つまりそれは私にとって他人だが、他人が書いたものをそのまま引きうつしているような、いわば盗作をしている後ろめたさを感じるようになった」

 ので、書くのが辛くなり、

「今回かぎりで二度と現代語訳をすることはしないつもりである」

となったそうな。えええ盗作……そんなこと考えもしなかったな(いや私ごときが意見するアレでもないけど)。古文って直訳するとかなりそっけないというか、読み物として面白くなりにくい。極力改変なしにはしたいものの、まず自分がイメージできないことは書けないし、その上読者にも理解しやすいようにと考えると「そのまんま」というのは土台無理な話なのだ。となると話のプロットをガッチリ掴んでその通りに「書き直す」しかない。……あーそうかこれ確かに「他人の作ったプロット」だもんね。それを元に書けばそりゃ「盗作」みたいな気持ちになるのもわかる。合ってるわ。しかし真面目だなあ吉村さん。こういう感覚を持つ人にこそ訳本を書いてほしいものですが。

 それにしても、こうして一族の栄枯盛衰を遺されて長く語り継がれる平氏と、平氏を破ったものの速攻で北条氏に実権を握られてしまった源氏とでは、結局どっちが勝ったといえるのか。改めて、幼い安徳天皇を保護できず神器もろともむざむざと海の藻屑にしてしまったのは明らかに源氏側の大失態であり、民草にとっても衝撃的な出来事であり、「平家物語」が編まれる最大の理由だったのかなと思った。源氏が平氏ほど栄えることができなかったのも、因果応報と考えられたかもしれない。ともかく最初から最後まで大変に読みやすく面白かったです。まさに大河の大作。



「令和に生かす日本史」呉座勇一(2025)

 この、あからさまにビジネス書めいたタイトルと帯。中身の小見出しもいわゆる自己啓発本の煽り文句ぽくてちょっと笑った。しかし内容はやっぱり呉座さんなんですよ。「意識高い系」じゃなく本当に「意識高い」。

 トップに出てくる織田信長、呉座さんの他の本でも語られているとおり、「風雲児」「天才肌」なのは後世に作られたイメージであって、父のやり方に倣い、地の利・物と金の流れを見て堅実に城づくりや町づくりを進めていく優秀な「ビジネスマン」の香りふんぷんである。秀吉は信長の考え方をよく理解していたからこそ重用されたし、のちに成功もできたのだろうということだが、弟の秀長の影響も大きいのかなとつい思ってしまったのは大河に影響されてるか私。フィクションの力ってすごいよなあ。しかし西郷隆盛は……なんとなく知れば知る程、この人実は大したことないのでは?カリスマ化されてるけど??という印象になりつつあったのだが、いや大人物では「あった」のだ。人間、何かを成し遂げるには心身の健康が一番大事なんだなあとつくづく実感。

 そしてこの本で最もおおと思ったのがこれ「”憲法改正嫌い”の伝統を持つ日本政治」。日本人はどうやら歴史的に「憲法改正」をしたがらない民族らしい。唐の律令制を元とした大宝律令は、明治維新まで朝廷の基本法であり続けたという。なんと千年も「改正」しなかったのだ。中国における律令は皇帝の独裁政治の道具であったが、日本では逆に天皇の権力を制約するものであったと(!)。今、目標として掲げながら長年憲法そのものに触れず解釈で乗り切ってきた自民党が、ようやく道をつけはじめている。戦後初の憲法改正をこの目で見られるかもと思うと、そういう時代に生まれ合わせたことに感謝しかないが、マスメディアを中心とする抵抗勢力の激しさには驚く。きわめて伝統的・保守的な「変えることへの忌避感」が底にあるとすれば、結局は皆どこまでも「日本人」なんだなと思ったりもする。

 面白かったです。

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