四年

 今日は安倍元総理の命日である。第一報を聞いた時の衝撃は、記事にしてあるのでここでは繰り返さない(書いておいてよかった):「2022年参院選明けに思うこと

 もう四年なのか、まだ四年なのか。事あるごとに「この場に安倍さんがいたらどうしただろう」「もう少しうまくやれたのではないか」と思い続けてきた。現政権がダメというわけではない。そりゃ細かいことを言えばキリがないが、刻々変わる国際情勢、難問だらけの国内情勢の中、かなりうまくやってくれていると思う。それでも、小さくないプラスアルファの要素として、安倍元総理の存在が浮かんで来てしまう。特に米トランプ大統領、何かを止めるとまではいかなくても、もう少し何とかなったのではないか色々と、などと。詮無いことではあるが。

 安倍さんを殺した男のことについては、触れたくないし名前も顔も忘れたいが、今の自分の気持ちだけ書いとく。某宗教にハマった親のせいで不遇な生い立ちだったのは事実だろうし、人生がうまくいかなかったのが全て自己責任と言い切るには酷なところもあるが、正直やらかした事の重大さにはまったく見合わないどころか、全然まったく一ミリも関係ない:

「某宗教が憎かったからその関係者を襲うつもりだった、だが難しかったので、『たまたま』奈良に選挙応援に来るという安倍元総理を狙うことにした」

 要するに目立てばよかったし、某宗教にダメージを与えられればよかった。結果として某宗教は解散となった。まんまと思惑通りに動いてしまったわけだ。私は某宗教の信者でもなんでもないし、正直なくなってもどうでもいいが、この流れには非常に怒りを感じる。何かこう、崩してはいけないところが破壊されてしまって、簡単には元に戻せない、そんな気もしてる。

 安倍元総理の死を「喜んで」いた人らは論外の人外として(家族を目の前で残虐に殺された仇でもない限り理解不能。どんな大嫌いな奴でもその死を喜んだりはしゃいだりはしない、普通)、悼む心を持たない(持てない?)人が特にメディア系で少なくなかったのが少しショックでもあった。確かに「国葬」という形は賛否両論あっても仕方ないし、どういった意見だろうが自由だ。だけど国葬によって付近の道路が一部交通規制され、その影響で少し渋滞が起こったからといって、普段は「良い人」の顔をしていた人が、かなり憎々し気に文句を垂れていたことを私は忘れない。なるほどね、だから日々徳を積まなきゃいけないのか。と生温く今もただ眺めている。絶対にそんな風にはなりたくないが、人間だから先のことはわからない。常に自戒せよ、と自分に言い聞かせる。

 いち国民でしかない、何者でもない私にできることは殆どなくて、せいぜい身の回りの身近な人々を大事に、つつましく暮らしていくしかない。こうして書くことで何がどうなるわけでもないが、今の私の気持ちとして置いておく。あらためて、偉大な存在を噛みしめつつ。


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